これまでも何度かお話をいただいたものの、スケジュールの都合でお断りをさせてもらっていた『クローズアップ現代』に、ようやく出演することに。事前にもやりとりをしていたものの、話す内容は放送直前まで続いた国谷キャスターとの打ち合わせの中で決めたので、さすがに最後の方は詰まり気味で視聴者フレンドリーではなかったなと反省。話した内容については早速クロ現のサイトにアップされているので特に言うことはないのだけど、あまり指摘できなかった点について3点くらい補足しておきたい。
ひとつは、企業が防衛的になって初動を誤る理由について。打ち合わせで話していて見えてきたのは、これまで企業に対して強い圧力をかけることができる団体、個人は限られていたということ。悪い言い方をすると、お客一人の対応をマズったからといって、さしたる問題にはならず、業界団体、監督官庁、総会屋など、気を遣わないといけない相手は限られていた。それゆえ「先走って非を認める」ことは、相手につけいられる隙をつくることであり、企業をそうした相手から守るためにこそ、まず自分たちは悪くないというスタンスを取る必要があったのではないか。
ところが現在では、企業に対して、ネットを含めた世論の声が大きな圧力になるケースが出てきた。少し前であればこうした声が「一部のもの」として切り捨てられることも多かったけれど、業績なり株価なりに結びつくようになって、無視もできなくなってきたわけだ。
2点目はそれに関連して、最後に少しだけ述べたCSRの話。本来、CSR(企業の社会的責任)とは、90年代にロイヤル・ダッチ・シェルのスパーの海洋投棄を巡って起きた不買運動を背景に提唱され広まったものだ。そこには、企業の活動は単なるお金儲けではなく、その環境を維持し、そこに還元することと事業性を両立させるべきだという考えがある。さらに言えば、シェルと英国政府の間では合意が成立していたにも関わらず、市民の声がその決定を覆したという点でも、この事例は注目に値する。つまり市民=消費者はどこの企業から商品・サービスを買うかを選択することで、企業に対して圧力をかけることができるとみなされたことで、CSRは企業にとっても大事な取り組みになったのだ。
最近では企業と市民の関係も、対立的というよりは妥協点を模索するようなものになりつつあるし、CSR報告書のフォーマットも整備されつつある。日本では植林活動報告のようになっていて、いわば「右手の事業の儲けを左手で社会貢献に使う」という形になっているけれど、本来はその企業の事業そのものが収益性と社会貢献を両立するようなものでなければならない。こうした視点の乏しかった日本でも、一部の「ブラック企業」の業績悪化などを見ていると、明示的でないとはいえ、消費者選択が企業への圧力になる、ある種のエシカル消費の動きなのかなと思う。
3点目は、その「消費者の声の圧力」について。正直なことを言えば、異物混入によるウェブ世論の炎上には、そういう高尚な面だけでなく、単に面白いから火を付けてまわり、煽り倒すことで暖を取るタイプの声も少なくないと思う。さらに、マスメディアがそうした声を積極的に取り上げることで、炎上の広がりに荷担するケースも多い。社会的な意義のある消費者の声と面白半分の炎上を区別できるようなリテラシーが育たなければ、今後企業はよりいっそう防衛的になって隠蔽を繰り返すか、世論の声に過剰反応した結果セキュリティ対策にかかる費用が価格に跳ね返る形で、消費者の側も損をしかねない。
そこで大事なのは、まず報道のレベルにおいて、事後検証やフォローアップなどの情報を積極的に発信すること。企業ももちろん、ここではマスメディアの役割が特に問われる。ウェブは即時性と拡散力には長けているが、訂正や検証といった作業にはなかなか向かない。クロ現のような文字興しを掲載することも含め、マスメディアの「火消し」能力が問われている。また、個々人の側でもそうした反省は重要だ。たぶん当日の放送を見ながら色々書いていた人も、今日あたり、一昨日のことなんか忘れてしまっているかもしれない。脊髄反射で拡散した情報はその後どうなったのか、拡散したのは正しい行いだったのかということを自分なりに振り返る時間をもつことが大事じゃないだろうか。
補足としてはこんな感じ。感想としては、国谷キャスターの丁寧な準備とサポートのおかげで、その場で話す内容を組み立てながらだったものの、無事生放送を乗り切れたなと思う。自分でも番組をやっているから分かるけど、生放送の10秒、15秒で何をどうするかというのをリアルタイムで組み立てるのは相当の能力がいるし、まして司会となるとハードルはさらに高い。アマチュア司会として、さらに勉強させてもらったなという機会だった。