イノベーションとボトルネック

雑記

もう先月の話になるのだけど、名古屋方面に出かける用事があったついでに、以前から気になっていたトヨタ産業技術記念館に足を伸ばしてみた。もともとは豊田紡績の工場があったところに、その外観を活かしながら作られた紡績と自動車の技術史を展示するミュージアムだ。こういう企業博物館を見るとつい「この人たちの雇用ってどうなってるんだろう」というのが気になってしまうのだけど、本社の皆さんも研修で訪れるという中の展示はとても示唆に富むもので、解説の方のお話にも聞き入ってしまった。気づけば当初の予定を超えて何時間も居座ってしまったにもかかわらず、それでも自動車の方は駆け足になってしまったので、また時間を見つけて行きたいなと思う。

時間を食ってしまった最大の原因は、ちょうど紡績技術のイノベーションと産業革命について考えていたところだったので、そのヒントになるような展示がたくさんあったからだ。世界史の時間に習ったとおり、紡績と織布に関する技術革新が18世紀後半に起きて、その後19世紀に石炭を燃料とする蒸気機関の発明によって産業革命が起きたとされている。次第に軽工業から重工業へと広がる動力の革新は、後発国においてもキャッチアップが続き、同じようなプロセスを辿って発展した。いわゆる「資本主義の精神」が西欧に高度資本主義を発達させたというヴェーバーのテーゼを歴史的事実として真に受けてはいけない、というのは社会学においてもちゃんと教育されている(はず)と思うけれど、じゃあなんで紡績の分野で産業革命がスタートしたのか、というのをよくは理解していなかった。

今回、トヨタ産業技術記念館の展示を見て分かったのは、紡績が産業革命の始点になった理由と、日本がこの分野でキャッチアップに成功した要因かもしれない点だ。後者はあくまで仮説だけど、ざっくりと振り返ってみたいと思う。

直線的な生産性向上

ブルースの歴史をちょっとでもかじると、綿花 Cotton Flower や紡錘 Spindle、糸車 Spinning Wheel といった単語に嫌でも出くわす。南部の黒人たちが綿花プランテーションで栽培させられていたのは、産業革命によって生産力の向上したイギリスの紡績工場に送られる綿だった。では大規模な機械制工業になる前には、綿はどうやって糸、そして布になっていたのか。もしかすると小学校の社会科の時間に聞いていたのかもしれないけれど、今回はじめてその工程を理解した。

まず綿花から栽培された棉は、「綿打ち」という、弓を使って不純物を取り除く工程を経て、「撚り」という行程で糸になる。最近はオーガニックコットンが流行っていることもあって自分で糸から作ってしまおうという人も多いのか、動画もたくさんあるので確認してほしいのだけど、起こっていることは非常にシンプルだ。綿から引き出された細い糸の元をねじっていくと糸ができる。それを何本もより合わせると太い糸になる(栃木県教育委員会のサイトがとても分かりやすい)。このプロセスは絹でも羊毛でも基本的に同じなのだそうだ。

さらに糸を布にする過程でも、やっていることは古代から変わらないという。石川県埋蔵文化財センターのサイトに解説図があるけれど、経糸を上下に分け、その間に横糸を通して叩き、また上下を入れ替えて横糸を通すという作業の繰り返しで、世界的にほぼ同じ形態で完成されている。つまり「糸を紡ぐ」「布を織る」という要素技術そのものにはイノベーションの余地はなく、あとは「いかに早く」「いかに大量に」「いかに安く」作るかが勝負の世界だったのだ。

こうした直線的に生産性の向上を目指すことができる分野で産業革命が始まったというのはいかにも示唆的だ。世界史的には大量に安く作るという目的で植民地や黒人奴隷が用いられるわけだが、技術面で見れば「早く・大量に・安く」というのは、作業を機械化することで、一人の労働者がたくさんの機械の管理を行う体制に移行することを意味する。そりゃラッダイト運動だって起きるはずだ。

もちろんその機械化技術だって簡単なものではない。展示されていた豊田佐吉の発明品に凝らされた工夫の数々はシンプルであるがゆえにロジカルで、シュンペーターが言う意味での新結合=イノベーションだと感じたけど、そこには膨大なアイディアと失敗があっただろうなと想像する。でもやっぱりそれは、「早く・大量に・安く」の世界の話なのだ。

動力革命とイノベーション

産業革命のもうひとつの要素は、蒸気機関の発明による動力革命だった。作ったものを鉄道で遠くまで早く運べるとなると、交易圏=市場が拡大するから資本主義が発達する、というのは分かる。でも紡績技術と蒸気機関の間には何の関係があるのか?

記念館に展示された紡績機の数々は、ある時期だけ写真のように上部からベルトで吊られている。これは何かというと蒸気機関によって生まれた回転力を紡績機に伝えるためのもので、日本だけでなく世界的に、蒸気機関が動力だった時代の工場で見られたものだ。回転を機械動力に変えるのは歯車やカムの組み合わせなので、原理的にはそれさえできればどんな機械でも動かせる。蒸気機関は、工場の天井でぐるぐる廻る巨大なシャフトを動かしていればよかったのだ。
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今回、トヨタ産業技術記念館を見学して一番強く印象付けられたのがここだ。つまり産業革命初期の動力で工場を稼働させ、生産性を向上させるためには、どうしても大きな蒸気機関を用いて工場を大規模化させる、すなわち「大量に」作るという戦略を採らなければならない。でも日本の国土において工場を大規模化するには限界があるし、そもそもそこで勝負してもキャッチアップはできない。だとするなら「早く」「安く」の部分で勝負するしかない。マルクス主義的な産業史においてはそれは日本の農村の余剰労働力が云々という話になるのかもしれないけれど、シンプルであるため修理が容易で、早く生産することのできる自動織機を作ったことが、日本の産業革命を考える上で決定的に重要だったのだと思う。要するに先行する社会の物量主義を技術で乗り越えるというパターンで、日本は先行国にキャッチアップしたと考えられるのだ。

ボトルネックは何か

話としてはこれだけなのだけど、上記のような仮説が正しいとするなら、そこから色んなことが考えられると思う。まず、技術のイノベーションが物量面での相対的な不利を埋め合わせるためのものだったという点。直線的に生産性向上を目指すことができるのであれば、全面的な大艦巨砲主義が正しい戦略。いわゆるランチェスターの強者戦略だ。ところがいくつかの点で生産性向上にボトルネックが生じると、それを埋め合わせるために(1)他の部分の物量的拡大で生産性を補うか、(2)品質などの差別化要因に特化して資源を集中する弱者戦略を採るかしないといけない。産業革命も初期の段階ではあちこちに生産性向上のハードルがあったわけだけれど、そこから技術革新の方に舵を切れるかどうかで、後続との生産性、あるいは価格競争を回避する道が見える。これは結果論でしかないので、両者の間に因果を見るのは難しいけれど。

もうひとつは、技術の進化が直線的な生産性向上ではなく、不連続的な変化をもたらす場合にどう対応するかという問題。山田英二さんの『ビジネスモデル思考』という本で、リチャード・フォスターの研究が紹介されていたのだけど、これが大きなヒントになると思った。いわく、蒸気機関によってシャフトから動力を伝える方式では、当然動力に近い部分のエネルギーが強く、遠い部分では弱くなる。だから大きなエネルギーを必要とする行程が蒸気機関の近くに配置される。ところが動力が電気になると、この工場内での生産工程の配置に制約がなくなる。それが「つくる順番に製造工程を並べる」という、いわゆるフォーディズム的ベルトコンベアー方式を可能にしたというのだ。

蒸気機関の発明は、直線的に生産性を向上させるという点で確かに革命的だったけれど、古代から続く紡績・織布の延長線上にある連続的な変化だった。ところが蒸気から電力への動力の変化は、生産工程そのものを変化させる不連続なものであり、そこには本来の意味でのイノベーションがある。変化のどの段階に注目するかはあくまで見る人の判断だけど、蒸気機関と産業革命という始点にとらわれる必要はないのかもなと感じた。

「できる」と「実現する」の違い

もちろんあわてて補足しておくと、生産工程を並べ替えるためには蒸気機関が可能にした工場での集約労働が必要だったとか、消費社会論の標準的な理解では、ベルトコンベアー方式は直線的な生産性を競える最後の効率的生産体制であって、むしろ現代においては記号的な付加価値のほうに価格が乗るようになってるとかそういう話はある。だから不連続な変化といっても、完全に過去と断絶した変化というものを想定するのは正しくない。

ただもうひとつこの点で気になるのは、アメリカにおいて電気を動力とする工場が稼働したのは、タバコなどの新興産業だったという話。背景にあるのは、電力による生産が可能になるために必要だった条件だ。そこには、電力が安定的に供給されることだとか、モーターが小型化することだとか、インフラや技術に関する問題と並んで、工場労働者がその生産体制に「慣れ」なければいけないという課題があった。生産体制が不連続に変化するといっても、人がそれに追いつけないのでは管理もできないのだから。

新しい技術が新しい生産を可能にするとして、それはあくまで「できる」という理論上の話でしかない。それが現実のものになるためには、インフラや要素技術、そしてヒトの部分でのボトルネックが解消される必要がある。特にヒトの身体性は重要だ。一人で8台を管理できる自動織機が発明されたとき、労働者は布を織る身体性を捨て、8台の機械を同時に監視し、停止した機械のメンテナンスをするという身体性を獲得しなければならなかった。それがどのようにして獲得され、労働者の教育に組み込まれていったのかを調べるのは、おそらく社会学や経営学の研究課題だ。

最近でも、技術の飛躍的な進化によって仕事の環境は不連続に変化し、ヒトの仕事はなくなるという話をしたがる人は多い。経済学者たちも、人工知能の進化は新しいヒトの仕事を生み出す可能性があるが、技術の進化にヒトが追いつけなくなることで雇用が喪失する可能性を指摘している。それはそのとおりなのだけど、じゃあ実際にどこでそのようなことが実現し、どの分野ではヒトが追いつかなければ変化が生じないのか、そういうことを見極めていく必要があるんじゃないかと思った。

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