少しづつ年の瀬の足音が聞こえる晩秋の日。勤め先でも経理の皆様は、謝金の支払いなど所得税や源泉徴収と関係しそうな業務に慌ただしくなる。そして僕らのような請負業務を持っている人間にとっては、「マイナンバーを確認せねばならんので、番号の確認書類と本人確認書類のコピーを寄越せ」という、マイナンバー導入の趣旨に真っ向から反する非効率な要求が相次ぐ時期にもなっている。
それ自体はシステムの移行期だと我慢すれば、最終的には効率化への道もあるのだろうし、日本の納税率が悪いことを考えても、必要な措置だったろうとは思う。しかし疑問なのは、このマイナンバーを送れという連絡がやたら高圧的であることだ。いわく、この手紙を受け取ったらただちに送れだの、遅れたら事由書を寄越せだの。
よくよく手紙の差出人を見ると、お仕事をしたこともない、大手ベンダーの子会社の名前。そう、僕らにマイナンバーの提供を「お願い」しているのは、取引先の企業からマイナンバー管理業務を委託されたシステム屋さんなのだ。
想像するにこういうことだ。彼らは、親会社が引っ張ってきた案件として、「大手クライアント」様に突如降ってきた、取引先への報酬の支払いに際してのマイナンバー関連のお仕事を肩代わりし、セキュアで効率的な管理をお約束する立場として契約を結んでいる。その中には、当該取引先に確実にマイナンバーを提供させるという役割も含まれているはずだ。
結果として、システム屋さんたちは、「クライアント様」に対する仕事の責任として、多少高圧的であれ、彼らの取引先(僕らだ)からマイナンバーを聞き出せばよし、と考えることになる。フリーランスの仕事には、こうした「取引先の取引先は私の下僕」とでも思っているのだろうか、という相手に出くわす機会がまま用意されている。
ここで、そうした出来事にいちいち腹を立ててみせるのが趣味なのかなって人がいるのだけど、それはそれであまり感心しない。怒っても何も解決しないよね、という以上に、彼らは、自分の仕事に対して真面目で真摯であり、それゆえに問題が起きているからだ。言い換えれば、そこにあるのは悪ではなく愚かさなのだ。
社会科学は、こうした「ミクロな真面目さが人を殺す」可能性について、近代の始まりから一貫して批判的な立場を取ってきた。そこで大事なのは、「悪気はなかった」という相手に対して、その振舞がなぜ、どのように愚かであるのかを理解してもらうこと、そのために、社会には人の意図を超えた特性と帰結があることを知ってもらうことだ。
Post-truthが今年のキーワードなのだという。誤解された意味での反知性主義とか、そういう風に世界が理解されるようになっているということなのだろう。そのことについてはまた別のところで論じるつもりだけど、少なくともここで扱った例のように、知的でありまた冷静でもあるはずの人々ですら、真摯で真面目であろうとした結果、どうしてそんなことが起きるのだろうというようなシステムの維持に手を貸してしまう。真面目さだけでよき帰結に至れるほど、ことは単純ではないのだ。