向上心よりも好奇心

雑記

41歳になった。初めて自分のMacを買ったのが21歳のときだった気がするから、それから20年。その頃から僕にとってパーソナルコンピューターは、情報収集、文章執筆、作曲、イラスト作成その他デザインなど、自分のしたいことをすべて受け止めてくれる道具だったし、マシンやウェブの進化がなければ、こんなにも色んなことに手を出す人生ではなかったと思う。22歳のときに最初の「SOUL for SALE」を立ち上げ、そのサイトデータ全てをコピーしたフロッピーディスクを持って面接に行ったパソコンショップが、IT業界とのつながりの始まりだったし、サイトに掲載していたコラムを読んだ先輩にウェブニュースでの連載を頼まれたことが、その後、デビュー作を書くきっかけになった。もしもコンピューターやインターネットがない時代に生まれていたら、こういう形で仕事をすることはなかったと思う。

現在の仕事は、たしかに大学のセンセイだ。もう今年で9年目になるから、教員としても若手ではない。ただこの数年した仕事を振り返ってみると「大学院生のサポートプログラムを立ち上げる」「学生同士の学び合いを促す部屋を設計し、にぎわいを作る」「オープンキャンパスで大教室を満員にする」「ゼミ生と企業の方との協働の場をつくる」「学部を広報する冊子を企画編集する」などなど、学会に出て論文を書いて、というのとは随分異なった仕事をしている。そのどれもが、コンピューターを直接用いなくても、IT業界にいた頃に身に着けた感覚があって初めて可能だったものだ。そういえば先週は、この春に募集を始める新ゼミ生のために、説明用のパンフレットを編集していたのだった。

20年前、僕にとってのコンピューターは、音楽や文章、イラストなどの創作物をつくる道具だった。そこで鍛えた技能は、いまでも自分が何かを表現したくなったとき、それを何かの形にするのにすごく役に立っている。でもそれ以上に、いま僕のコンピュータースキルは、「人づくり」「場づくり」、あるいは「ことづくり」のために活かされている。

共同学習室という、学生どうしが学び合う場を設計することになったのは、ほんとうにただの偶然だった。書庫になるはずだったために、もっともアクセスの悪い目立たない場所に位置していた部屋をまるまる、人が集まる場所に設計し直せというのは、僕のような人間にとって最高にチャレンジングな仕事だった。設計士さんと相談して図面を引き直し、ファニチャーを選定するところから始めて、いくつも授業外のレクチャーを企画し、案内チラシを配布して宣伝した。気づけばその場所はたくさんの学生で賑わうようになり、もはや僕がいない方がありがたい「学生の居場所」になっている。

40歳で今度は、学内の研究所の副所長に就任した。同時に食とグローバル化をテーマにする研究班を立ち上げ、ゆるやかに研究の場づくりへのシフトを始めている。そこでも相変わらず僕は、コンピューターを使って何かをデザインし、それを広く周囲に知らしめ、人が集まる場所を生み出すために奔走するのだと思う。

こういうことをしていると、頑張り迷子な学生・元学生から、どうしてそんなに色んなことができるのか、とたびたび聞かれる。体力的な無理や無茶を別にすれば、彼らはきっと、現状に満足しないことの魅力に気づき始めているのだと思う。ある程度まで仕事に慣れてくると、「その上」にいくために必要なことが、仕事の中ではなく、外からしか得られないものであることが分かってくる。ただただ大変に見えた僕の仕事が、実は「あれとこれを混ぜる」という、一番楽しそうなものに見えてくるのだろう(真実はともかく)。

向上心のある方ではない。できないことをできるようになるために地道な努力を重ねるのはもっとも不得手とするところだ。楽観的で刹那的な性格が災いして、壁に突き当たったとか不当な扱いを受けたとか、できなくて悔しい思いをしたといったことを長く覚えていられない。すべてのことは、この体が朽ちるまでの暇つぶしでしかないし、僕がどうなるかよりも、僕を養分にして面白いことが残るほうがよいのだから、と思うと、なかなか「上手になる」ことがない。

でももしかすると、と思う。コンピューターという道具は、向上心ではなく、好奇心を満たすためにあるのではないかと。「あれもしたい、これもしたい、もっとしたいもっともっとしたい」とブルーハーツは歌った。コンピューターとインターネットは、そういう人のためにつくられたドラえもんのポケットだ。だから、いつまでたってもそれぞれの道具の問題やミスが改善されないこともあるけれど、一人では手の届かなかった世界を覗き見て、気がつけば中の人になるなんてことがまま起きる。

40歳は不惑。41歳は数えで本厄。身を落ち着けて、残りの人生を見据えて、50で天命を知ることができるよう堅実なキャリアを歩むべきなのだろう。が、こちとらこの20年、好奇心の赴くままに手の届く範囲のあらゆることに手を出して、気づけばそのすべてを捨てることなく、いまのいままで仕事として両手いっぱいに抱えてきてしまった。惑わない人生などこの先もありえないほどに、「変わり続けることから変われない」大人になってしまったのだ。

15年前、デビューしたばかりの頃に「で、これからどうするつもりなの?」とよく聞かれた。普通の大学院生のキャリアとは違う方向に漕ぎ出した僕が、まさか何も考えていないなんてことはないだろうと思ったのかもしれない。残念ながら何も考えていなかった。ビジネス系の自己啓発書にありがちな、将来の目標を立てて、そこから人生のプランを逆算して、なんていうのも、どうにも馴染みそうにない。だからこそ、来年あたり僕がいまとぜんぜん違う態度で仕事をしているかもしれないってことに、心からわくわくできるのだ。

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