椎名林檎さんの記事を読みながら、色々なことを思い出していた。
まず大前提として、これはセルフカバーアルバムの発売に向けたパブ記事だ。ナタリーにも別のインタビューが掲載されているし、セルフイメージのコントロールにすごく気を使う彼女が、様々な面での自分の見られ方を意識して語った話をどこまで真に受けるかという話はある。でもそんなこととは無関係に、彼女が「女の子たちの生き辛さ」を取り上げることには、すごく大きな意味があると思った。
端的に言えば、彼女の応援はすごく90年代的というか、「重い」ものだなあという気がする。生きづらさを抱えているからこそ、自分を生きづらくする世界を才能と努力でねじ伏せる。そういう意志に満ちている。少なくとも僕が彼女に共感するのは、そういう世界との戦い方であり、その奥にある悲壮さだ。いつどう転んでもおかしくなかった瞬間が、生きていれば無数にある。なのに20年もトップランナーとしてエンターテイメントの舞台に立ち続けるということは、決して才能や努力や、あるいは「世界に愛された」ことで叶ったわけではない。偶然や運としか言いようのない流れの中で、自分がその場所を引き受けることは、決して降りられない戦いを続けるということでもある。自分のような立場の人間が自死することは絶対に許されないという発言が、それを裏付けている。
だからこそ思うのだ。それはきっと、ある種の人たちの希望ではあるけれど、ある種の人たちの絶望でもあると。あなたは才能があるから、あなたは努力したから。そういう理由をつけて「私はそうはなれない」と言う人びとを生み出してしまう。立ち続けるほど、諦める人を増やしていく。そして社会学者としての僕は、特に2010年代という時代が、その「重さ」から逃れてきた時代だということを痛感している。「無理」という言葉がよく使われるようになった。分かり合うなんて無理、妥協するなんて無理、努力するなんて無理、変わるなんて無理。
代わって登場するのが「ありのまま」の思想だろう。無理せず、争わず、人前では理想的に、野心は腹の中に。自分が自分でいるために、人との関係を断った場所を確保する。私は私、踏み込ませない。オーケー?
両者の間に優劣はない。10年代の彼女たちも、90年代の彼女たちと同じように意地を張っているし、彼女たちの向き合い方で世界を変えようとしている。戦った結果として変えるか、戦わずに自然と変えるかの違いなのかもしれない。だから質は違えどどちらも男の子たちにとって「めんどくさい」し、変えられる側の世界に属していることを恥じ入る存在になっている。でも決定的に、10年代のほうが「軽い」のだ。
10年代を代表するポップスのひとつが「恋するフォーチュンクッキー」だと思うけれど、そこでは「世界はそんな悪くない」「人生捨てたもんじゃない」と歌われる。より鮮明には、chayの「あなたに恋をしてみました」が挙げられる。「どうしよう 噂できいた/元カノと 私は正反対/“好きになった子がタイプ“/よく聞くし 頑張るわ」というあっけらかんとした歌詞には、2010年の「会いたくて会いたくて」のようなネガティブさはどこにもない。まして林檎さんのような「死なないで、生き延びて」というメッセージは微塵もない。たぶん現代では、死にそうになっていたら恋なんて無理なのだろう。
僕自身は、死にそうにもないし戦わずに世界を変えられる「彼女たち」に共感することは、きっとないのだろうなと思っている。その誠実さや情熱やひたむきさは尊敬に値するけれど、僕はずっと死にそうで、世界と戦わないと自分の場所がなくて、最初から世界に居場所のある人たちに怪訝な顔をされながらも自己主張をしてしまう人たちの側にいるし、その人たちがいかに迷惑であろうと、その人たちを変えるのではなく、その人たちが世界を変えるための武器を提供する側にいたいと思っている。それが僕にとっては学問だったり各種のスキルだったりエンターテイメントだったりするのだけど、それを届けることが大学という場所でできなくなったら即日辞表というのはいつも言っているし、その意味で、公平で、いい教員というわけにはいかないようだ。
林檎さんほどの実績とプレゼンスがあれば、きっと現代の世界では、生きづらいままに世界と戦う手段がなくて、「ショーニンヨッキュー」とか言われている活動に邁進してしまうような「彼女」さえも惹きつけられるような作品を提供し続けられるのだろうか。それとも、かつての鈴木いづみがそうだったように、強烈なパトスで世界と戦うことに、どこかで疲れてしまうのだろうか。90年代の彼女たちは、世界と戦いながらも、決定的な「破綻」をギリギリのところで回避できる人たちのように思う。「あちら側」との境界線でエンターテイメントし続けるのは、戦いであるとしても、やはり人の心を躍らせるものなのだから。