雑記20190212

今日読んでいたのは、上田岳弘『ニムロッド』。芥川賞受賞作品として話題になったけど、内容は割と抽象的だ。ウェブサイトなどに掲載されたあらすじも、作品の内容説明としてはずいぶん的はずれなもののようにも思える。確かにビットコインを採掘する男も、外資系証券会社に勤める彼の恋人も、同僚であるニムロッドも出てくるけど、作品の主題は彼らの関係じゃない。

おそらく作品の主題としてとりあげられるべきだったのは、「欲望」の問題だ。人間は、富や地位、あるいは称賛を求めてあくなき上昇を続けるけれど、その先に何があるのか。その欲望そのものが虚構ではないのか。でも、何かを求めて、それが得られずに傷つき、そこから降りることもできなくなってしまった人間には、その虚構の価値以外に何をたよればいいのか?

この小説は、ある意味で「枯れて」いく、つまり成熟していく日本社会における実存の問題を扱っている。対比されるのはシンガポールだったりビットコインだったり。のぼり調子の世界で、上を見ることだけを考えていればよいのだという世界に対して距離を感じている登場人物たちの、はっきりと主張されるわけでもない内面の描写は、まさに「感じ取る」ものでしかないけれど、世代的な近さもあって、すんなりと心の中に入ってきた。

ここのところ、選ぶ小説はだいたい、なにかにシンクロしている。もうすぐシンガポールへの出張が待っているこの時期に読めたのは、そういう意味では幸運だった。病院のテレビで見たニュースでは、関空の橋桁が修復されつつあるという映像が流れていた。そういえば、みんな関空までどうやって行っていたのだろう?空港へのバスの時間は調べていたのに、そもそもアクセスするルートが存在しないか、変更されているかもしれないという思いには至らなかった。

橋脚は、修理すれば直る。でも人間の肉体や人間関係、社会というものは有機的につながっているから、部品のように取り替えることができない。恋人と別れて、その後によく似た誰かと付き合い始めたとしても、その人は前の人の「替わり」にはならない。いちど解れてしまった関係は、別の何者かとして結び直されるほかないのだ。本作の登場人物たちは、その「結び直し」に至らないまま、上を目指すことも、そこから降りることもできずにいるのだった。

第160回芥川賞受賞作。それでも君はまだ、人間でい続けることができるのか。 あらゆるものが情報化する不穏な社会をどう生きるか。 やがて僕たちは、個であることをやめ、全能になって世界に溶ける。「すべては取り換え可能であった」という答えを残して。 … …