雑記20190304-01

インプットの日ということで、まずは話題書『FACTFULLNESS』を読む。事前に聞いていた評判のせいかもしれないけれど、予想通りに問題の多い本だった。

Amazonでハンス・ロスリング, オーラ・ロスリング, アンナ・ロスリング・ロンランド, 上杉 周作, 関 美和のFACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣。アマゾンならポイント還元本が多数。ハンス・ロスリング, オーラ・ロスリング, アンナ・ロスリング・ロ...

著者は、医師であり公衆衛生の専門家。データに基づくと世界の生活環境の多くが改善されているにもかかわらず、先進国の人びとがその事実を知らず、数十年前に定着した「先進国と途上国」という区分で世界を見ていることを問題視している。挙げられているデータは基本的なものだし、そのうちのいくつかは自分も講義で触れてきたものだ。また、多くの人々が世界の生活環境の改善について知らないというのも、また講義を通じて痛感してきた。

だから主張そのものに異論はない。問題は、その主張を通すための手段だ。本書では、たとえば人々が世界の環境に対して様々なバイアスを抱いていることを「チンパンジー以下」という言い方をする。これはつまり、三択問題であればランダムに選ぶと33%は正解するのに、人間の正解率がその割合に満たないことを指しているのだが、レトリックとしても正しい表現でないばかりか、「人間は間違う」というバイアスをもとに、読み手に「はっとさせる」ための、いわばデータを悪用した煽りでしかない。

そもそも、データを示す際には、そのデータが正しいかどうかだけでなく、データが何のどのような面に着目したものであるかを示す必要がある。たとえば、初等教育を受ける人の割合は、世界全体で大きく増加した。しかしながら中央アフリカ諸国に注目すれば、その割合はぐっと下がるし、小学校を中退する子どもが女子に偏っていることにも気がつく。「世界はよくなっている」という事実と「アフリカはよくなっていない」という事実は矛盾しないのに、「世界全体のデータ」だけを取り上げて「事実」だというのは、あまりに一面的だ。

本書には、こうした問題のあるデータの引用が多々目につく。その点だけでも信用に値しないものだと思うけれど、社会学や社会心理学に触れる学生にとってより不満に感じなければならないのは、「なぜ人はバイアスのある見方をしてしまうか」という点についての考察が、ほぼ思いつきレベルのものであるということだ。なぜ世界には貧困がみちあふれ、世界がより悪くなっていると先進国の人々が感じるのか。その背景には、教育、メディアだけでなく、たとえば新しいテクノロジーの普及(新興地域では携帯電話の普及はめざましいが、固定電話回線の普及が遅れている場合があるなど)の影響による、生活水準の変化を測るモノサシがわかりにくくなったことなどもあるだろうし、社会学も社会心理学も、その原因や影響を明らかにするために研究を続けているわけで、「あまり知られていない一面的な事実を突きつければ人々が啓蒙される」という思い込みは、やや御目出度すぎるのではないかと思う。

くりかえすけれど、著者が明らかにしている「ファクト」は、一面的であれ、ファクトであることに間違いはない。だが、フェイクニュース時代に問題されるべきなのは、「真実か嘘か」ではなく、「その事実がどのように持ち出されるか」という、文字通りリテラシーを必要とするレベルの問題である。本書の一面的な事実が広く受け入れられ、「みなが知るべきこと」として推薦される、いわば「拡散希望!」の事実になっているからこそ、そのこと自体を注意深く検証する視点が必要になるはずだ。