二度目の人生なんてないから

調子に乗りやすいタイプだという自覚はある。研究はどちらかと言えばストイックな営みだから、現在の自分にも環境にも満足せず、ついついシニカルになったり、自分の情動にブレーキをかけたりするタイプの人が多いように思うけれど、僕の場合は納得のいかない環境を力ずくでも変えてやろうと感情的になることが多い。たいていの場合はポジティブな方向に感情的だけれど、大教室授業で騒がしい学生を叱責したときなんかは、「こんなことで状況がよくなるわけないのに」という後悔と、感情的になった反動で、しばらく動けなくなるくらいに疲れてしまう。

昨年から今年にかけて、いくつもの仕事が立て続けにうまくいかなくなり、自分が原因でないことも含めて、ずっと心を痛めていたように思う。「傷ついた人たち」について考えていたのも、そんな自分の状況が反映されたものだった。そういうときには自分が何をしても裏目に出るように感じてしまうし、目の前で起きていることに対処するので精一杯になれば、ものごとの判断基準も狭くなり、状況はますます閉塞していく。そういう悪循環の中で、自分だけでなく、色んな人に迷惑をかけたり、お叱りを受けたりすることも多くなっていた。

ただ同時に、そういう人たちにたくさん助けられもした。どうにか最悪の状況を脱する光明が見えてきたのがここ最近のこと。普通であれば見放されたり、より大きな問題になったりしてもおかしくなかった状況で、なぜ自分の周囲には、自分を助けてくれる人たちが居残ったのか。

ひとつはその人たちが素晴らしかったから。そして、そういう人たちとの縁を得た偶然もある。要するに自分が何かしたことによってもたらされた結果ではない。それは承知の上であえて書くなら、昔から自分の周囲には、そういう人たちがいてくれたような気がする。

思い出したのは、16歳の頃、先輩や周囲に意地を張って、地域の高校の演劇部に手紙を書き、仲間を募って自主公演を打ったときのことだ。その時に集まってくれた仲間は、その後卒業するまで地域の部活を運営する仲間のネットワークになり、またそれぞれが部長クラスの存在になっていった。端的に言って優秀だった。僕のできないことはたいていその人たちの誰かが担ってくれたし、僕の気づかないところで、様々なフォローアップをしてくれていた。

いま、学生と一緒にゼミを運営している自分を振り返ると、あの16歳のときと何も変わっていないなあと思う。聞いてみたら高校時代は部長だったという人がやたら多いし、上級生になるにつれて、頼もしいを通り越して僕が一番頼りないくらいの能力を発揮するようになる。25年以上たっても、僕の周りには、僕より優秀な人ばかりだ。

その頃のこと、そしていまの自分に共通しているのは何だろう。それは、無謀な挑戦に対して最初に名乗りを上げ、その人たちの見る夢を広げ、彼らが何をすべきなのか、集団がどこに向かっているのかを示す役割を担うのが、ほかならぬ僕であったという事実だ。言い換えると、「やりすぎることも多いけれど、いつも言い出しっぺになるリーダー」としての僕の周りに、ありがたいことに僕より優秀な人たちが集まって、みんなで夢を広げる、そんな生き方をしてきたのだと思う。

43歳の誕生日を迎えるにあたって考えたのは、きっとここが分かれ道だということだ。いつまでも自分が助けられることに甘えて大言壮語を吐き、周囲に苦労をかける代わりに大きな夢を目指す人生を反省し、改心して落ち着いたおとなになり、誰かが自分の夢を目指して走っていくのを静かに見守るような、余生というか、二度目の人生だってあり得るはずなのだ。でもまあ、そういう人生は選ばないのだろうなと思う。少なくともいまのところは。

その代わり、「この自分」のアップデートは目指せるだろうと思う。より大きな夢を描く人、より信頼を得られる人、よりたくさんの人たちを大事にできる人。無理にいまの自分を否定せずとも、いま関わっている集団をもっと良い状態に変えられるように努力することはできる。そして多分、そっちの方が苦労も後悔も多いのは分かっているけれど、どのような末路であれ、自分の意志で選んだものだときっぱり言い切れるものだろう。

手帳と一緒に持ち歩いているノートには、「あの日死ねなかった二十八歳のロックンロール」なんて青臭い文句が書かれたシールを貼っている。すべての間違いは、もっとずっと若いときに始まっていた。これがその間違いの延長線に続いてしまった人生なのだとしたら、せめて間違いの中での正解を選ぼうと藻掻くことで、生きていると感じられる自分でありたい。