2019年に聴いていた音楽を振り返る

毎年恒例にしている、年末の音楽振り返りエントリ。この数年のライブ中心の環境から、どちらかというとサブスクリプションに依存する形で、今年は本当に幅広く音楽を聴いた。それだけでなく、エンターテイメントというものが求められる環境の変化や、自分の感覚をアップデートする必要性に迫られたのも、今年の特徴かなと思う。

全般的な感想

昨年あたりから気づいていたことではあるのだけれど、「サブスクリプションがリスナーの裾野を広げることの功罪」が、感覚として共有されてきたという気がする。功というのは、これまで一枚のCDにお金を出す余裕のなかった人のところにまで楽曲が届くようになったこと。そして罪とは、まったく興味のない人のところに聴き捨てられるためだけに届けられる音楽が増えたことだ。

もともと「No Music, No Life」な人なんて一握りで、大半の人は産業流通するコンテンツとしてポップミュージックを聴いていたにすぎないし、テレビが娯楽の中心だった時代には、ドラマのタイアップだとか、そういうものを通じて「流行歌」というものを共有することができた。CDがもっとも売れていた1990年代後半というのは、間違いなくそういう時代だった。

ただ現在では、娯楽の中心はネットであり、また有料無料を問わず、音楽以外のエンタメに触れるチャネルも増えた。サブスクリプションは確かに産業としては「薄く広く」リスナーを集めることでプラットフォームとして収益を上げることができるのだけれど、この「あらゆることに低関心」な時代に、そうやって食い込んでいく音楽は、多くの場合、一期一会であり、関心を持たれなければ曲名すら覚えられずに消えていく。

この1、2年、「最近めっちゃ好きな曲があるんですよ、アーティスト名も曲名も分からないけど」という話を聞くことが増えた。これが動画などメッセージを明確にもつコンテンツであれば、話題性中心で、なんなら炎上も覚悟で過激なことをやるというのもありだろう。動画コンテンツであれば、「10秒ずつスキップしていいところだけを見る」ということもできるだろう。けれど音楽はそういうわけにはいかない。過激な音楽が耳障りな人は多いし、1.3倍速で再生したら、それはもう原曲とはまったく別の曲だ。つまり音楽はどうしても「最後まで座して聴く」か「10秒聴いて気に入らなかったらスキップ」になってしまう性格を持っている。

海外ではこうした傾向を反映してか、イントロや楽曲全体の長さが短くなり、またAメロ・Bメロ・サビで構成されるようなポップスから、サビのモチーフが繰り返されるEDMのアプローチが、バンドサウンドにすら取り入れられる傾向にあるようだ。ただ歌謡ポップの市場が相対的に大きい日本では、まだそういうアプローチは少数派で、それゆえ悪く言うとガラパゴスな、よくいえば相変わらず豊かな市場が形成されているという見方もできる。

今年取り上げる楽曲も、「ヒット曲」というよりは、この環境の中で心に食い込んできたものばかり。その食い込み方も様々とは言え、若い人の言い方を借りれば「爪痕を残す」ような、そういう力がある。次々とそうした楽曲を生み出す環境と市場がちゃんとあるこの社会は、やっぱりすごいんだよって思ったのだった。

楽器を持って演奏すること

ヨルシカ “だから僕は音楽を辞めた”

もう今年のベストと言われたら『だから僕は音楽を辞めた』『エルマ』と2作続けてコンセプトアルバムをリリースしたヨルシカだろう。だって、このサブスクリプションで楽曲ごとにしか聴かれない時代に、2枚のアルバムを通して聴き、初回特典のグッズまで目を通さないと謎が解けないようなストーリーを音楽で届けるなんて、マーケティングコンセプトもへったくれもない。楽曲のアレンジの幅だって決して広いわけではない。なのに、ただまっすぐに青春の煩悶と後悔と懺悔と憎悪と悲哀を楽曲に叩き込んでくるn-bunaの楽曲には、文字通り心を揺さぶられないではいられない。というか、いまこの原稿を書きながら「八月、某、月明かり」を聴いて涙してるくらい。

ネタバレというわけではないのだけれど、2枚のアルバムや特典、インタビューやラジオ出演などでの発言を追いかけると、この煩悶が、おそらくは作家と歌い手、あるいはこの時代に楽器を持って音楽を奏でるすべての人に共有されるであろう普遍的な苦悩であることがよく分かる。才能の女神に愛された人だけが、自分の楽曲をひとつのマスターピースとしてこの世に問うことができる。けれど、時代はその才能を使い捨て、聴き捨てにすることで、産業としての音楽を生き残らせるほうを選んだ。それでも「間違ってないよな?」と自問しながら音楽を辞めないでいる人のための、まさに2019年の音楽なのだと思う。

秋山黄色 “クラッカー・シャドー”

同じように青春の煩悶を歌った楽曲として取り上げたいのが、シンガーソングライター・秋山黄色のこちら。自分の楽曲を世に問うことが容易にできる時代に、それでも「どこにも行けない気持ち」を抱えるのは、言ってみればLINEする相手はたくさんいるのに、誰にも会いに行けずにいる若者みたいだなと思う。つながっているのに孤独(Alone Together)と説いたのはMITの心理学者、シェリー・タークルだけれど、僕たちが社会的存在である以上、画面の向こうから返ってくるリアクションは、自分の存在を確かめる上ではほんとうに心もとない。この曲の歌詞を借りるなら「存在くらい 曖昧なものはない」。

the peggies “スタンドバイミー”

EDMの影響の裏側で、世界的に起きているのがネオ・エイティーズブームだと思う。昨年も取り上げたアーバンポップ(あるいは直接に80年代の日本のシティポップ)の流行はそのひとつの現れだけれど、こちらはその80年代テイストを完全に現代の楽曲として昇華させた傑作。サビの裏で鳴るシンセのオブリガードのメロディセンスやサビ前に挟まれてくるストリングスやピアノの緊張感は、80年代の職業作曲家、あるいは90年代にプリンセス・プリンセスがバンドサウンドとして追求してきたのに匹敵する完成度だと思う。いまからバンドを始める若い子が、ちゃんと譜面から分析してコピーしてほしいなと思う一曲。

BAND-MAID “Endless Story”

メイド服でハードロックという、どうしてもビジュアルが先行してしまうBAND-MAIDだけれど、はっきりいって演奏がめちゃくちゃ巧い。ラジオ番組でクリス・ペプラーさんがTOKIEさんと対談しながら「ベースの子がピック弾きなのにチョッパーするんですよ」って紹介してて、さすがの着目点と思ったのだけれど、この編成でギター主体のアレンジ、でも歌モノでボーカルも聴かせるのは本当に難しいから、そういうアレンジ力という点でもちょっと頭ひとつ抜けてるよなあと思う。

Caravan “Passenger”

実は2010年代に入ってからのCaravanの活動をぜんぜんフォローしていなかったのだけれど、サブスクリプションで流れてきた楽曲を聴いて、変わらないどころか、むしろ今の自分に必要な音楽ってこれだ、と思えるような体験をした。ウェブサイトなどを見る限り、ライブ会場での販売も含めて定期的に作品はリリースしていたらしい。だから当人からしたら、当たり前のことを当たり前に続けてきただけなのかもしれない。でも、配信だのサブスクだの、音楽を取り巻く環境が激変してきたこの10数年、変わらずにCaravanで居続けたのはやっぱりすごい。今年出たアルバムのラスト曲になるこの曲は、2004年の「RAW LIFE MUSIC」のラストナンバーだった「NIGHT SONG」を思い出させる、アルバムを通して聴いたときのカタルシスを感じさせてくれる、どこで聴いても涙の出る一曲。

新世代ダンスミュージック

YonYon, 一十三十一 “OverFlow(変身)”

ダンスミュージックというとどうしても一昔前のハイエナジーっぽいというか、サイドチェインで波打つ分厚いシンセのパリピな曲がイメージされるのだけれど、むしろ世界のトレンドは音数を減らして、全体の音圧も低めに設定したミニマルなトラック。イメージ的には90年代のテックハウスに近いかなと思う。こちらは今年、そういうトラックの中でも一番心地よかったYonYonの楽曲。日本語・英語・韓国語がシームレスに展開する(アプリで歌詞を表示しても同じ)グローバル・トラックは、ステージでもストリートでも、文字通り文脈を選ばずに耳に飛び込んでくる。

SIRUP “Evergreen”

そのYonYonとのコラボ曲でもグルーヴィーな歌声を聴かせていたのは、今年一気に男性R&Bシンガーとしての地位を確立したSIRUP。R&Bというかダンスミュージック全体で言えば、どちらかというと緊張感のあるトラックが多くて、こうしたゆったりしたアレンジの楽曲で声のセクシーさを押し出していくようなものは、アメリカの本格派向けの楽曲でしか聴かれなくなっているようにも思う。実際、そういうトラックを歌わせても巧いのだけれど、やはりこの人の持ち味はこういう天性の声の美しさを活かしたものじゃないかな。

Lucky Kilimanjaro “Do Do Do”

夏あたりに有線で何度か「HOUSE」という曲が流れてきて、おっ、と思ったのがLucky Kilimanjaro。「ハウスミュージック」について歌っているダンサブルなトラックなのに、歌っているのは「家から出ない」という、ハウスってそっちかい!となる楽曲だった。そこから関心を持って掘り下げたのだけれど、彼らの持ち味はシンプルなトラックの上に、ポジティブで熱い感情を込めたリリックが乗るという、非常にメッセージ性の強い楽曲。「今自分が何者かなんて自分自身で決めなよ」「自分の意志を決めたら/それを信じるまでだ」という強い主張は、今年、気持ちが下を向きそうになったときにものすごい太い支えになった。

avengers in sci-fi “nowhere”

定期的にリリースは続けていたAvengersだけれど、今年のこの曲に関しては、まさに「踊る」ということの刹那を、リピートされるフレーズの中で繰り返され、シンプルさが求められる時代の環境の中で、心地よさとは違う感情のスイッチを押された。「ずっと遊んでいよう/一生遊んでいよう/シラフになってしまうと/泣いてしまいそうな気がするんだ」というパンチラインは、盛り上がりの絶頂にいる気持ちに冷や水を浴びせるものだけれど、むしろその熱狂と冷静が自然に同居してしまうことや、それを肯定できてしまうのが現代なんじゃないかなって感じる。

海外の楽曲では

Billie Eilish “bad guy”

世界イチ人を不安にさせるリフ、音の数が少ないゆえに許されるキックとベースの野太さ、ささやくようなビリーのボーカルは何声にも重ねられ、また左右にパンニングされているものだから、ヘッドホンで聴いていると自分の脳内を直接揺さぶられているような気持ちになる。川谷絵音さんが彼女を評して「時代が求めている空気の現れ」って言ってたと思うんだけど、本当にそうだなと思う。心地の良いもの、耳障りのいい言葉が溢れ、「世界を良くする」だの「未来を作る」だのって言われてるけど、実はその責任を一方的に負わされている若者たちは、悪夢や自己嫌悪や不安に苦しめられている。そのリアリティや内省を完全にど真ん中で切り取ってきたという印象。

The 1975 “Frail State of Mind”

バンドサウンドとEDMの融合という意味では、やはりこの曲のインパクトはすごかった。でもそれ以上にすごいのは、内省的で不安定な歌詞が、きっちり時代の芯を捉えていると思うことだ。もともと前作「ネット上の人間関係についての簡単な調査。」においても、SNSが当たり前の時代における内省や不安は扱われていたのだけれど、この曲ではそれがより内へと向かっている。またMVでマシューは女装もしているのだけれど、歌詞に恋愛が出てくるとしてもジェンダーを感じさせないというのは、K-POPなどでも見られる、世界的なトレンド。そういう点で、同じEDMを取り入れた楽曲であるとしても、ONE OK ROCKの「Stand Out, Fit In」が、移民の子どもへのチア・ソングであることを差し引いても「男は/女は」と歌っているのとは対象的だった(もちろんこの曲は、ルーツというものをめぐる複雑なテーマを扱っているんだけど)。

Carly Rae Jepsen “Julien”

ネオ80’sブームの昇華という点では、彼女の新作全体で良質なポップが聴ける。ただ特にこの曲はサビの「Julien」という呼びかけ部分のメロディとハーモニー、裏に入ってくるベルシンセの絡みまで、音の数も多すぎず少なすぎずのすごくいいバランスでアレンジされていると思う。一般にシンセでコードを鳴らしてしまうと、現代のミックス技術を使うと音圧が高くなりすぎてしまって、女性ボーカルは埋もれてしまいがちだ。音色からアレンジまでかなり計算されていないと、ここまでひとつひとつの音を心地よく聴かせることはできないはずなので、単なる懐古趣味の音楽ではなく、「ネオ」と呼ぶにふさわしいクオリティだなと思った。

Avicii “Heaven”

2019年になってもアヴィーチーの曲が聴けるなんて。曲そのものは2016年には完成していたらしいのだけれど、今年はたまたま今作でヴォーカルを務めるクリス・マーティン率いるColdplayが新作を出したのもあって、ある意味では彼らの新作のようにも聴けてしまう。楽曲の中身に深い読み込みはしなくていいと思うんだけど、よく考えたらクリスの声に一番似合う楽曲を書けるのがアヴィーチーだったのだなと気づく。いい意味で、2019年に聴けてよかったなと思う一曲だった。

そんなわけで、今年も音楽的には本当に豊かな一年だった。昨夜の番組で公開した自分の曲もそうなんだけど、人の曲も含めて「これってどう弾いているんだろう?」「このアレンジはどこまで作り込んでいるんだろう」という風に、分析目線で音楽に向き合うことが楽しくなる年だったと思う。きっと来年もいい年だろう。できたら、とびきり大きな会場で演奏するバンドのライブなんか見に行ってみたいな。