立ち止まるか、動くか――2020年のまとめ

時間の停止した世界で

昨年は、数年に一回とも言えるほどにたくさんの仕事をした年だった、と1年前のブログには書かれている。そして、「どうせなら、いい時間にしたい」という、人生観の変わる年であったとも。おそらく、とても充実していたのだろう。

その点について言えば、今年も、ほんとうに充実した年だった。ただし決してポジティブな意味ではない。2月頃からコロナ禍が国内でも顕になり、そのタイミングで学部執行部の仕事を引き継いだ。最初に行ったのは、600名以上いる新入生のガイダンスをオンライン化すること。そして、1年生の必修科目の教材のオンライン化だった。

4月の緊急事態宣言のさなか、こうしたオンライン化を乗り切れたのは、偶然がいくつも重なったからだ。昨年度までにノーコードでスマホサイトを構築するノウハウはできていたし、「THE FIRST TAKE」に感化されて1月には買い揃えていたレコーディング機材もあった。多くの大学教員が情報を求めて右往左往するなか、技術面での課題を感じることはほとんどなかった。

5月から7月にかけて、大学のある兵庫県の新規感染者数がゼロを続けている間も大学では入構制限が続いていた。教員の立ち入りは認められていたし、そもそも誰もいないから密になりようもないキャンパスの中で、ある日、写真を撮って歩いた。学部の入り口には大きな蜘蛛の巣が張り、植え込みは荒れ、人間がいなくなったことで餌にありつけなくなったカラスが姿を消していた。キャンパスの時間は停止し、生態系すら変化したようだった。端的に言って、この場所は死んでいる、と思った。

少しずつ制限が解除される中で、春学期中の1年生の登校を実現すべく動いたり、秋になってからは新入生支援のためのタスクフォース立ち上げを直訴し、対面イベントをボランティアで続けた。それも11月末には中止せざるを得なくなったけれど、結果的に100人ほどの学生にイベントの機会を提供できたのはよかったことだと思えた。サポートをしてくれた学生団体には「人を笑顔にする仕事には、それだけで価値があります。みなさんは、価値のあるはたらきをしてくれました」と伝えた。

ただ、気持ちの面ではまったく面白くなかった。最初からわかっていたことだけれど、コロナ禍におけるオンライン対応は、それだけで何をしても不満とクレームをぶつけられる仕事だ。そして意思決定プロセスはどこでも混乱しており、なぜ春学期に登校が許されなかったのかも、なぜ秋以降に登校が停止されなかったのかも、誰も合理的に説明することができなかった。僕が学生なら、それはもう腹が立って仕方がなかっただろうと思った。そしてその苛立ちの矛先は、1年生に向けて対応している僕のところにこそ向けられるものだった。「それには当たらない」「適切に対処している」と壊れたレコーダーのように繰り返す偉い人の気持ちが、少しだけ分かるような気がした。

立ち止まらずに生きる

そもそも、誰もが怒りを表明していた。学部のオンライン会議はときに怒鳴り合いになり、学生からのクレームのメールも飛び交っていた。ネット上では見も知らぬ大学教員同士が、ノウハウを交換するのではなく、「このような判断・行動をしている学生/教員/大学/政府はけしからん」と怒りの声を挙げながら、みみっちい自己弁護、というより、自分こそ正しいよね、あいつらこそ間違っているよね、という共感を求めてソーシャルメディア上で生き生きと活動していた。暇なのかな、と思った。

社会全体で見てもそんな調子だった。夏を過ぎたあたりから、若者たちが会食している様子をインスタでも頻繁に見かけるようになった。ネット上では「大学だけが再開しないのは怠慢だ、金を返せ」派と「安全のためだ、臨時支出は既に数十億に達している」派が、建設的な方策ではなく、相手を屈服させることだけを求めて罵詈雑言を投げあっていた。政治は混乱し、経済は停滞し、僕はこれまで尊敬していた何人かの人をブロックし、ソーシャルメディアからログアウトし、ブラウザを閉じた。

やるべきことは、自分にとって価値のあると思える仕事を引き受けることだ、と強く思った。そもそも今年は、科研費関連を含めて新規に学術論文を3本書かなけれないけないことは決まっていた。春学期と秋学期の間のわずかな隙間に、社会心理学、国際関係論、観光学とまったく異なる分野の研究者たちとのお仕事をして、それぞれ脱稿させた。うち2本は来春刊行に向けて作業が進んでいる。

さらに、夏前にはYahoo!が募集していた副業制度にアプライし、採用された。業務委託の形でコンサル的なミーティングを行う仕事は、これまでも数多くのナショナル・クライアントと行ってきたので、それ自体は新しい経験ではなかったけれど、自ら応募して選考を受けるという経験は、自分の仕事の価値をアピールするという意味で、とても貴重な機会だった。

同じ時期に、約10年ぶりとなるテレビのレビュラーの仕事が決まった。引き受けたのは、出演の時間帯が自分の仕事の都合にマッチしていたこと、そして、「メディアに出ること」に対して開き直る覚悟ができたからだ。

客観的に見れば、学部執行部の職責を担いながら同時に1年生のオンライン対応、対面支援を行い、学術論文を3本同時進行し、副業の選考を受けて採用され、さらにテレビにレギュラー出演するという動き方は、常識はずれでしかない。褒めてほしいとは思わないけど、褒められても「ですよね」と返していいんじゃないかと思う。

ただ、そんなことはもうどうでもよくなったのだ。

たとえば、自分にとって価値があると思える仕事をしていて、それが他人に評価されなかったら、それは意味がないことになるのだろうか。あの春先、誰にも見られることなく咲いて散った桜に存在意義がなかったわけではないのと同じように、自分のしたことの価値は、それを見る人が多いか少ないかといったことで変わりはしない。ほぼすべての人は、僕が全体的にどのような考えに基づいてどのような仕事をしているのかといったことを知らないし、関心もない。だったら、メディアというサウンドバイトに切り刻まれた世界でどのような振る舞いをしようと、そしてそれが僕のすべてだと思う人に何を思われようと、その他の仕事や、僕自身の存在価値はなにも揺るがない。そういう自信ができたからこそ、誰もが動きを止めさせられたこの1年に、これだけ動き回ることができたのだ。

ありがたいことに、そうやって触れた世界では、ほとんどの人に優しくしてもらい、受け入れられ、評価され、自分が望むようなお仕事をすることができた。現場に恵まれた、というのは、今年の中で数少ない僥倖だったと思う。

そして自己本位に生きる

1年の終わりというのは僕にとって、誕生日と並んで強く「死」を意識する時期だ。ただ、それもこの春先、心身ともに参っていた時期に「もしかしたら明日には」なんてことを毎日考えていたので、今年に限ってはもう今さらとも思える。「朝には紅顔ありて夕べには白骨となる」と、心のなかで何度も唱えながら、最終的には「自分が信じる方へ動く」ことを決意した時点で、なかば死んでいるようなものだったのかもしれない。

来年がほんとうにやってくるとして、そして自分がそれを迎えられるとして、どうなっているのかなんてさっぱり分からない。ただ2020年という節目の年に感じたのは、昨年の「どうせなら、いい時間にしたい」という気持ちに加えて、「自分のしたことを正しく評価できるのは自分だけだ」ということだった。それは公私ともに自分の生き方を大きく変えるような発見だったと思っている。

社会全体で見れば、たぶんこういう「自己本位」な感覚はますます広がっていくだろう。人びとは他者との付き合いに我慢しながら社会関係を広げることに対して、ほとほとネガティブになっている。会社の飲み会に誘われるのが嫌な人の横で、ちょっとした会食でガタガタ言われる世の中を恨んでいる人がいる。お出かけしていいのかよくないのか誰もはっきり言ってくれない中で、親しい人を誘っていいのか悩んでいる若者の隣で、ソーシャルメディアにあふれるパリピな若者のストーリー投稿に心を痛めている医療・福祉従事者がいる。誰もが、自分がこの世で一番我慢を強いられ、損をしていると思っている。あいつらがいいなら自分だって、という気持ちになることが、何かの復讐になるような気さえしている。

そういうネガティブさを抱えた自棄糞のような感情が、きっとどこかで爆発し、大きな出来事につながってしまうような、そういう危機感を僕は持っている。できることなら、自己本位ではなく、誰かのために自分が動いているのだと思えるような仕事をしたい。褒められるためにではなく、誇るために動いていたい。

ありがとうを伝えるために

親しい人の誘いを断り、価値観の異なる人をブロックし、人の声に耳を貸さず、己の信ずる道を貫く、独善的で、ワガママで、自己本位であることが唯一の正解になってしまう世の中を、僕たちはどう生きていけばいいのだろう。

ひとつだけ守りたいなと思っているのは、他人の信念を尊重し、尊敬できると思ったのなら褒めることを忘れない、ということだ。人は、何かを考え、生み出そうとするとき、いつも孤独だ。コロナ禍においてその孤独はいやおうにも増してしまう。だからこそ、その人の行動、発言はすべて、そうした孤独の産物であることを忘れないようにすること。よく、この世の中に出てきたねと褒めること。価値のあるものを手渡してくれてありがとうと伝えること。つまり人の自己本位性を否定しないことが、数少ない、倫理的な答えであるように思う。

毎年年末には、こんなことをブログに書いている。「七味五悦三会(しちみごえつさんえ)」という、江戸時代の風習だ。大晦日の夜、除夜の鐘が鳴っている間に「その年に食べて美味しかったものを七つ」「その年に起きた嬉しいことを五つ」「その年に出会えてよかった人を三人」数え上げることができたら、その年はいい年だったねといって年明けを迎えるというもの。

一昨年からは、この風習をアレンジして、数え上げた今年のいいことを、誰かに伝えてみることを勧めている。本来は家族で共有するものだったらしいし、今年は実家には帰れなくてもステイホームという人も多いだろうから、結局は一番身近な人が相手になるのかもしれない。あるいは画面の向こうの誰かなのかもしないけれど、今年1年間を生き延びて、孤独と孤立に耐え、自分のすべきことをしてきたすべての人たちが、来年こそは、今年とは違う美味しいもの、楽しかったこと、出会えてよかった人を数え上げられることを心から願って。