ウィズコロナの大学生はどうなるのか

雑記
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「対面の再開」と大学

コロナに翻弄され、学びの環境が激変した大学の2020年度が終わりを迎えようとしている。あと数日もすればキャンパスはまた新入生を迎えることになる。報道によれば少なくない割合の大学が「対面中心」の新年度を迎えるようだ。「中心」と言っても人によって受講している授業が異なるので、対面授業の割合をカウントすることに意味はない。ただ、昨年のように入学直後からキャンパスに入れず孤立した状態でオンライン教材と格闘するという事態は、学生にとっても教員にとっても避けたいところであるようだ。

自分の勤め先についても、ウィズコロナ時代の学びの情報環境構築に向けた取り組みは随分進んだように見える。ネットワークインフラの増強、動画素材の撮影・編集・配信のスキルや学生のITリテラシーの向上によって、「オンラインの長所を生かした学び」を提供したり享受したりする余地も増えた。1年前には「スマホしか持たず、高速通信回線を引いていない学生も多い」「リアルタイムのビデオ講義なんて無理だ」と大騒ぎしていたのに。この間、様々な環境の構築や情報提供を担当してきた立場からは、まだやるべきことは多々あるけれど、随分と気持ちが楽になったと思える。

とはいえ、以前のような大学が戻ってくるわけではない。サークル活動や学生同士のディスカッション、飲み会なんていうのは制限されたままだし、今後の第n波によって再びオンラインに移行する可能性もまだ十分にある。昨年は「友だちができない」ことが学生たちの苦悩の中心だったけれど、「友だちと深い話をする機会がないまま大学時代が終わりそう」というのが、次の悩みの種になりかねない状況だ。「登校」と「対面授業」が再開されたものの「人と密に接触する」ことができない大学での学びは、これからどうなっていくのだろう。

大学時代に得られたもの

このことを考える上で、非常に示唆に富む調査結果をリクルートが発表している。それによると、現在20代後半で文系の学部を卒業した社会人が大学時代に得たものは、必ずしも「授業」の中で触れるものとは言えないようだ。

このレポートではまず、大学時代に得られる経験を「ベースギフト」と「クエストギフト」に区分している。ベースギフトとは「ありのままでいることができて、困ったときに頼ることができる安全基地から得られる」もの、そしてクエストギフトとは「ともに追求したいゴールがある目的共有の仲間から得られる」ものだという。「安心感」と「達成意欲」と言い換えてもいいだろう。

そして、大学時代に関わりの深かったコミュニティとして挙げられるのは「サークル」と「バイト」だという回答が目立っている。特にベースギフトについては友人やサークルといった親密な関係に由来するものであることが多いようだ。クエストギフトについてもやはりサークルや友人、バイトの比重は大きいが、「専門ゼミ」から得ていたという人もいるようだ。

さらにコミュニティの規模や構成メンバーで見ると、ベースギフトが大きくなるのは、ごく少集団もしくは大規模集団であること、そして先輩、後輩、社会人(大学教員を除く)との関わりがあることだ。クエストギフトについては、大規模であること、そして社会人とのつながりがあることが重要であるようだ。

これらのことをまとめると、次のように言えるだろう。大学時代に安心感を得られているのは、大規模サークルに所属し、その中で先輩、後輩、卒業生を含めた広いつながりを持ちつつ、ごく少数の仲間との密なつながりも持てた人である。そして達成意欲を高められているのは、大規模なサークルに所属したりアルバイト先で社会人と関わっていたりした人たちである、と。言い方として適当かどうか悩むが、いわゆる「リア充」な学生の姿が浮かび上がってくる。

さらにうがった見方をすれば、こうした安心感や達成意欲に対して、ゼミに関わること、あるいは大学教員が関わることの影響はそう大きくない。少なくともバイトやサークルに比べれば間違いなく小さい。大学教員が怠慢なのか、学生が大学教員に何も期待していないのか。というより、その両者が相乗効果を引き起こした結果なのかもしれない。耳の痛い話だ。

産業側は何を期待しているか

もっとも、大学に通って高い学費を払って、もっとも成長できるのがサークルとバイトだという結果は、ある意味で予想できるものだとはいえ、学生や保証人にとっても嬉しいものではないだろう。だが、その現実に対して大学も学生も甘んじてきたのも確かだ。というのも、結局のところ、そうやって得られた「成長」であっても「就職」という結果にはつながっていたからだ。

そのことを裏付けるのは、企業側の姿勢だ。経団連の提言を見てみよう。2011年の「産業界の求める人材像と大学教育への期待に関するアンケート結果」によれば、「グローバルに活躍する日本人の人材に求められる素質、知識・能力」という項目において1位だったのは「既成概念に捉われず、チャレンジ精神を持ち続けること」であり、そのために必要な教育改革として挙げられているのは「教育方法の改善」「大学教員の教育力向上」だという。ちょうどアクティブ・ラーニングが注目され始めた時期でもあり、双方向型、体験型の授業の実施が具体的な内容として挙げられている。

この傾向は、現在においても変わっていない。2020年の「Society 5.0に向けた大学教育と採用に関する考え方」によれば、「Society 5.0に求められる能力を育成するには、大学において、少人数、双方向型のゼミや実験、PBL型教育、海外留学体験などを拡充することが有効」だとされている。また、産学連携を強化し、大学と企業間の人材交流も拡大すべきだと述べられている。

一見すると、企業は大学での学びを重視しているように見える。だがそこで学びの中身とされているのは、「積極性」のようなマインドセットか、「語学力」に代表される汎用スキルであり、大学教員のもつ専門性ではない。だからこそPBL(プロジェクト・ベースド・ラーニング)、双方向型ゼミといった学びの形式の変化が求められるわけだ。しかし、積極性や創造性、その中でも実業と関わるようなスキルや経験ということになると、ますます専門分野の研究者である大学教員が提供できるものはなくなってしまう。

産学連携といいつつ、大学教員の専門性ではなく、学びの形式の変化を求めるとはどういうことか。ここから読み取れるのは一種の妥協だろう。つまり、産業側としては大学教員の専門性に対して口を出さず、学びの内容を実学に近づけろといったことは要求しない。だから、学びの形式については「求める人材像」に近いものにしてくれ、ということだ。

だが、PBLにせよゼミにせよ、そこで専門性によらない「積極性」や「発想力」を求めるなら、それはバイトやサークル活動でも得られるものと大して違わないものになる。期待されているのは「経済学的課題解決力」とか「文化人類学的視点を取り入れたマーケティング」とかではない。大学の学び「でも」得られるものが、就職という結果につながるのなら、学生はゼミ「でも」バイトやサークル「でも」、何かに打ち込めればそれでいいということになる。そして当然、後者のほうが間口が広く敷居が低い。

「学生が育つゼミ」の特徴

もちろん、大学教員側にも課題はある。最初に挙げたリクルートのレポートでは、学生時代に得られたベースギフトやクエストギフトは、就職してから所属している集団から得られるそれらを上回っているという。これは僕らの経験に照らしても納得のいく結果だろう。おそらく利害関係ではなく自発性でつながった集団であることがその背景にある。また、それを裏付けるように、ギフトの大きさは本人の主体的な意識と関係していることも示されている。「やりたいからやる」というのが重要であるということだ。

学業がベースギフト、クエストギフトにつながらないのも、それが学生にとって「単位取得や卒業のためにイヤイヤやらされるもの」という認識があるからだろう。もしかすると教員の側も学生に対して「やらせないと手を抜くに決まっている」という姿勢で、学生の自発性の芽を摘んでいないだろうか。

これに関連して、2年ほど前に出たリクルートの別のレポートを見てみよう。「あのゼミではなぜ学生が育つのか」というこのレポートでは、複数のゼミ担当教員に対する定性調査から、評判のゼミの運営の特徴を列挙している。55個の特徴の中には相互に矛盾するものもある(役割を決める/役割を決めない)が、それらをあえて乱暴に総括するなら、「教員が学生に期待水準を伝達すること」「学生以外のステークホルダーも含めた参加者の相互理解を促すこと」という特徴がある。

およそゼミのような学生との集団を運営、維持している教員にとって、この2つが導入できないというケースは稀だと思われる(もちろん、学生の反応が芳しくないことはあるだろうが)。だとするなら、このレポートで挙げられているゼミのユニークさや強みは、運営方法ではなく、教員の示す期待水準やゼミを通じて交流できる人間関係が、バイトやサークルに比して魅力的だから、と考えるべきだろう。つまり、どのような専門分野であれ、その「内容」を学生に魅力的に感じさせていることが、学生の意欲的な参加と成長につながっているわけだ。

「バイトとサークル」の時代の終わり

さて、以上のような分析を踏まえた上で、対面を再開したコロナ禍の大学はどうなっていくと考えられるだろうか。まず、学生は大学の専門的な勉強よりも、サークルやバイトを通じて得られる人間関係や経験から、実務につながるようなマインドセットを獲得しているのだった。これらは現在、大きく制限される傾向にある。サークル活動はいうに及ばず、アルバイトでもシフトを減らされて、人と広く密接に関わることのない宅配ドライバーのような仕事を始めている学生の例が目につく。つまり「バイトとサークルで、実務につながる経験を得る」ということが難しくなりつつある。

一方、産業側の動向も変化している部分がある。2011年と2020年の経団連の提言を比較して明らかに変化しているのは、2020年の提言では、いわゆる(日本企業の考える)「ジョブ型雇用」の導入が念頭に置かれたものになっていることだ。この場合のジョブ型には、大学院での専門的学修によって得られた能力を事業において活用していくことが含まれている。つまり、バイトやサークルで得られるような汎用スキルと、大学で学べる専門知を区分し、雇用のトラックも分けようということだ。

そもそも、文系の学生が日本企業に大量採用されてきた背景にあるのは、内需依存型の製造業を中心に、モノを売っていくための人材、つまり営業職のニーズが高かったからだ。こうした仕事に求められるのは専門知ではなく、人柄やコミュニケーションを円滑に行う力、失敗を克服するメンタルの強さだった。ところがコロナ禍を経て営業がリモートになり、DXが進む中でタレントマネジメントシステムや営業記録の分析ツールなどが導入され、営業も人柄と経験に依存した暗黙知から、データに基づく形式知に変化しつつあり、そのユニークネスが失われつつある。つまり「誰でもできる」度合いが高まりつつある。

ところが、大学にこうした変化を取り込み、即応する能力はいまのところないように思われる。そもそも教育機関に求められるのは、定性的な成長ではなく、形式的な知識の伝授を保証する仕組みだ。成長はあくまでその結果であって、少なくとも建前上、学校は何らかの知識を提供する場所である。それゆえコロナ禍において大学が対応しなければならない課題の中でも優先度が高いのは、そのような知識や情報を抜け漏れなく伝達するための仕組みづくりであって、その学びの環境から定性的に得られていたことを保証するための努力ではない。

だが、ある意味では困ったことに、友人と学内で会ったり話したりできる環境があるなら、オンライン授業も悪くない、という学生は少なくないのだ。普段の対面授業では聞き落としていたことも聞き直せるし、資料もデジタル化されて保管しやすい。先ほどのアルバイトの変化とも重なり、自分の好きな時間に勉強できる(悪い言い方をすれば、90分の授業を倍速45分で聴けば自由時間も増える)ことのメリットを歓迎している学生もいる。

これらの動向が最悪の形で重なった場合、バイトやサークルで得られていた人間的成長もなく、さりとて即座に職を得られる専門的技能もなく、しかしながら大学の単位はきちんと取得したという学生が多数出てくることになる。企業の採用意欲そのものは業界を選べばまだまだ旺盛なので、産業界からは「オンライン授業を受けさせるだけの大学は役に立たない、もっと産業側の人材を受け入れたり、インターンを通じたPBLを拡充すべきだ」という声が高まるかもしれない。そうすると、大学は就職に役立つ授業とそうでない授業に二極化し、企業はアルバイトに外部委託していた学生の人間的成長のコストを自前で抱えることになり、学生は、学費を払って企業インターンに行くために大学を目指すことになる。つまり、教育の社会的費用が全体として増大する。

こうした予想はもちろん、非常に極端な想定だ。ただ少なくとも、「学生たちが授業をほどほどにして、バイトやサークルに打ち込んで充実した大学生活を送ることが、大学・企業・学生にとってそれなりの益をもたらした」という既存のエコシステムは変化せざるを得ない。大学教員としては、やはり学生たちに学問的な水準を達成することと、それを目指す活動を通じて多様な人々と関わることの魅力を伝え、学びの中で知的にも人間的にも成長できるような環境をつくっていくべきだとは思うのだけれど。

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