美しさについて

雑記

45歳になる今年、『シン・エヴァンゲリオン』を見ていて強く感じたのは、自分の年齢だ。大学院の研究室で出会ったゲンドウとユイの間にシンジが生まれたとき、ゲンドウが30過ぎだとすると、少なくともテレビシリーズにおけるゲンドウの年齢は40代半ば。当時すでに二十歳そこそこだった僕は、シンジに共感まではできなくとも、ミサトさんですら「大人」の側だった。なのに、気づけばゲンドウと同世代になってしまっていた。そして困ったことに、あの頃のまま、人との距離のはかり方に悩んだり、人に期待しては傷つくことを恐れたりと、思春期マインドの真っ只中にいまもいる。

今年は物書きとしてデビューして20周年とか、Lifeを始めて15年とか、気づけば大学勤めも13年目の干支も2周目とか。特にいまの仕事は春がくるたびに環境がリセットされるループの世界だから、「サイクル」というのをすごく強く意識する。若者だった教え子たちはすっかり大人の常識と分別を身につけ、次世代の再生産のサイクルに入る。世の中も移り変わる。あんなに尖ったロックで叫んでいたアーティストは、いつの間にかドラマの主題歌を担当して、新しいファンに囲まれている。そしてその裏では、数々のバンドが活動を休止した。

この一年、そのサイクルが断ち切られ、さまざまなものがバラバラになってしまった。パンデミックだけが理由ではなくて、主には僕の力不足だけれども、たくさんのことを手離し、諦め、耐え、失ってきた。こんな歳になったら、大人は声をあげて泣いたりしないものだと、正直そう思っていた。実際、たくさんの人のカラ元気に触れたけど、内発的にモチベーションを保ち続けることが、何よりも苦しかった。

最近は、「美しさ」についてよく考える。美術とかそういうことではなく、もっと普遍的な意味での。

いま、もっとも失われてしまっているのは、美しさだと思う。なぜって、美しいもののまわりには人が集まるから。人混みを避けて花見は一人で。祭りも花火も中止。海には行くな山には登るな。そんな具合で、美しさの中に身を浸し、我を忘れてため息をつくような瞬間は、現に戒められている。あとに残るのは、zoomと筋トレの往復。美しいものが自分にとってのモチベーションだったことに、あらためて気付かされた。そしてその美しさが、誰かと一緒にいる空間で、その人たちの熱気や高まりに押されて生まれてくるようなものだったことを、痛感させられた。

だからこそ、自分が美しいと思う瞬間に出会いたいという気持ちがすごく強くなった。写真用のサブブランドサイトを立ち上げたり、楽曲の配信を始めたりしたのも、自分にとって気持ちのいい「美しさ」を探求するためで、エンタメというよりはもっと自己表現に近い。

自分にとっての美しさを残すという営みには、なんの意味があるのだろう。プロフェッショナルでもなく、収益につながるわけでもない、純然たる趣味。それは、かつてあったものでありながら、いつかは失われるかもしれない美しさが、きちんと世界に存在していたことを残すための作業だと思う。

ループを終える、何かを畳むというのは、言ってみればそこに連なる過去のすべての出来事を評価する点を定めるということだ。たとえばバッドエンドであれば、どんな素晴らしい日々もかりそめの幸福でしかないとなるし、ハッピーエンドであれば、どんな辛い出来事も「この日のための試練」だったと解釈される。シン・エヴァがそうであったように。

美しさを残すというのは、そんな「振り返ってそのときの価値を定める立脚点」を拒むということだ。美しいものは、その前や後がどうあれ美しい。今となっては振り返っても苦しく感じられるような日々に訪れた束の間の美しさであっても、それはやっぱり美しいものだったのだ。

世代的なものもあるけれど、僕はすぐ「この瞬間もどうせいつかは消えてしまう」というふうに考えてしまう。でも、それでもいいのだ。何かを伝えようと必死になり、負け戦を承知の上で果敢に挑み、目の前のことしか分からないなりに手探りで答えを探した。きっとこれこそが、と思えた瞬間は、現在がどうあれ消えたりしない。それはきっと、何よりも美しいものだろう?

「歴史的惨敗を喫した試合後のインタビューでジュリオ・セザールはこう言った。我々のこれまでの道のりは美しかった。あと一歩だったって。」

――坂元裕二『花束みたいな恋をした』

ちゃんと生きなきゃ、死ぬことすらできない。どうせいつかは死ぬのなら、美しいと言える瞬間を、そのときの精いっぱいで掴み取ろうとする。完全に折り返しに入った人生だからこそ、ここからずっと、先の見えないラストスパートを、と思うのだった。

タイトルとURLをコピーしました