理念を共有するパワー

雑記

学者が論文を書くときのプロセスにはいくつかのパターンがある。先行研究を広く批判的に読み込んだ上でリサーチ・クエスチョンを立てるというのが正統派のやり方だと思うのだけど、僕が好きなのは、先行研究と最新の事例や現象を組み合わせて、既存の枠組みをアップデートするような研究だ。なので、書いたときにはまだはっきりしなかったけれど、あとになって振り返ったときに、この指摘はいまのこれを示しているのではないか、と思えてくることがある。

たとえば『ウェブ社会のゆくえ』(2013)は、後にポケモンGOが登場した際、現実空間と情報空間の関係を表す理論枠組みとしてたびたび言及されたし、社会学の教科書で書いた「グローバリゼーション」(2017)は、執筆時点でまだ起きていなかったトランプ現象やブレグジットの背景とされた、格差が生み出すグローバリゼーションへの反発を主題としていた。書いた方は、あまり自分の論考を振り返る方ではないので、指摘されるまで気づかないことも多いのだけど。

昨今のウクライナ情勢をめぐる一連の動きを見ていると、「EU一般データ保護規則に見る規範パワーとその社会学的検討」(2021)で書いた、国際関係論におけるICTの影響力についての論点が非常に重要なものだったのではないか、と思えてくる。ここでは、その内容を紹介しつつ、いま起きていることと対照させながら、今後の国際関係論で注目すべきポイントを指摘しておきたい。

現実主義と構成主義

この論文の要点となるのは以下の3つだ。すなわち、①EU一般データ保護規則(GDPR)は、人権を保護する理念主義的性格と、EUという共同体の利益を追求する実用主義的な性格の二面性をもつ、②GDPRは、国際関係においても他国に影響を与える「規範」の側面と「パワー」の側面をもっている、③規範パワーが国際関係に持ち込まれることで、それは規範を都合よく利用するパワーにも、規範への服従を強制するパワーにもなる、というものだ。以下、それぞれのポイントについて見ていこう。

GDPRは、その内容を読む限り、EU市民のデータに関する権利を保護するための取り決めということになっている。個人に関する情報を、インターネットサービスの提供者が無断で取得してはならないという理念を貫徹するために、EU市民がアクセスしうる世界中の事業者にGDPRを遵守することを求める非常にユニークなこの規制は、いち地域の規制が全世界に波及するという影響をもたらした。

他方でGDPRには、特にアメリカのICTプラットフォーム事業者にEU市民のデータを渡さないための実用主義的な性格を持った規制でもある。この二面性こそが、国際関係論における「規範」と「パワー」の議論を考える上で重要になってくる。

国際関係論の標準的な学説として、国家は自国の利益を優先する選択をするのであって、国家間の利害関係を調整する超越的な主体が存在しないことから、それぞれの国益をめぐる駆け引きが国際関係を決定づけるとする「現実主義」と呼ばれる立場がある。要は、みんな自分さえよければいいと思って行動するのが国際社会だというものだ。

これに対して国際社会には、各国が規範やアイデンティティなどを間主観的に共有し、構成するプロセスが存在すると考えるのが、アレクサンダー・ウェントらが提唱する「構成主義」と呼ばれる立場である。僕の論文の下敷きとなっているイアン・マナーズの「規範パワー」論も、こうした現実主義とは異なる国際関係論の理論枠組みのひとつだ。

規範がパワーになる

マナーズは規範パワー論を、「世界政治において何が正常なものとして通用するかを決定する能力」と定義している。たとえばそれはEUのリベラルな理念、理想主義的な意思が、同時に様々な形でEU域内の規制として現実化されるという事態に顕著である。一方で、規範パワーが実際に存在するものなのか、それはどのような形で他国に影響を与えうるのかといった点では、論争の多い理論でもある。

この論争に対する僕の暫定的な答えは、規範パワーは「規範」の側面と「パワー」の側面を兼ね備えており、規範であるがゆえにパワーとして機能するという性格をもつ、というものだ。たとえばアジア圏ではGDPRを「国益のためにデータを囲い込むための理念的前提」として、いわばタテマエ的に受け止めるのに対し、北米では「巨大プラットフォーム企業から市民を守るための正当な理念」として、これら企業を牽制する武器となった。

論文の中ではあまり強調していないが、ここで注意しなければならないのは、規範パワーは、「規範」であるがゆえに、それを共有する主体に対して、パワーへの服従を促すという点だ。人権は大事だ、データ保護は人権だ、ゆえに人権を尊重する国はデータ保護にも従わなければならないという三段論法は、人権という理念によって他国を自国に都合のいい規制に従わせるという、国際関係上のパワーとして規範パワーが機能していることを示している。

これは、21世紀の対テロ戦争が「人道」「正義」といった理念にもとづくものであることを考えるとき、国際関係のパラダイムに大きな修正を迫るものになる。たとえば戦争は一般的に、国益を追求する外交の最終手段だと捉えられている。実際、まったく国益に反する戦争を民主主義国家が継続するのは難しい。だが現在の国際法の枠組みでは、国益追求のための侵略戦争は認められていない。つまり国際社会に一定の地位を占めようとすれば、国益で戦争することはできない。

そのため21世紀の戦争、とくに先進民主主義国家が関与するものにおいては、それが「正義」という理念に叶うものであることが示される。ロシアとウクライナの関係においても、双方が「自国の人々の人権が侵害されている」と主張するのは、国際社会が「人権は大事だ」という理念を共有しており、その理念のもとでしか戦争が許されないということの現れなのである。

理念の共有がパワーを生む

今回、ゼレンスキー大統領は世界の様々な国の議会においてビデオ演説を行っている。その内容が各国の指導者や国民にとって、ほどよく琴線をくすぐるものであることから、背後に優秀なスピーチライターがいるとか、それぞれの国のリサーチが行き届いているといった称賛混じりの声も聞かれるところだ。しかしながらここまで述べた国際関係論の動向を踏まえれば、より注目しなければならないのは、そこで語られる内容よりも、その語り口である。

現実主義的な立場からウクライナが各国に支援を求めるとすれば、当然、相手国に対するメリット、国益につながるポイントを示すのが外交交渉の筋だ。EUにはエネルギー安全保障、中東・アフリカには食料安全保障、アジア地域・北米には軍事安全保障といった形で、それぞれに国益につながるところのある危機だから、そうした正攻法での個別交渉を行うのが、既存の国際関係論から見ても合理的だ。

ところが今回、ゼレンスキーは多くの演説で、それぞれの国の「正義」や「理念」を理解、あるいはそこに共感した上で、それがウクライナと共有されたものであることを強調している。すなわち、同じ理念を共有する国際世論を形成することで、自国の味方を増やそうとしている。

この戦略が巧妙なのは、個別の国々に支援を要請するのとは異なり、ロシア側についたり、いずれの側にも与しない「中立」的な立場をとる国が、ウクライナを支持する国から「理念を共有できない国」だとみなされるリスクを負うように仕向けている点だ。つまりゼレンスキーは、「理念を共有する」というパワーを行使することで、国際関係に影響を与えようとしているのである。

ここからは完全に僕の想像だが、この理念を共有するパワーの宛先は、まず中国、そしてアフリカ諸国ではないかと思う。特にアフリカ諸国には中国の資本が深く入り込んでおり、好むと好まざるとにかかわらず、良好な関係を築くほかないところがある。ウクライナへの軍事侵攻が長引く中で国際世論が下火になるとすれば、こうした国々が制裁から消極的離脱を選択する形で生じるかもしれない。それを牽制する動きだとも考えられるのだ。

もうひとつ重要なのは、これがネットを介した議会でのビデオ演説である点だ。まず議会で演説を行うということは、これが国際的な市民の世論ではなく、主体としての国家が形成する国際世論に影響を与えるための行動であることだ。ソーシャルメディアでも同様の演説はできるはずだが、あえて国家の意思決定の場を選ぶことで、その国の選択に影響を及ぼそうとしているのである。

一方で、それが可能なのは、インターネットというインフラが存在していること(そしてコロナ禍がもたらしたリモート外交)の賜物である。既にGDPRについて述べたように、現在の規範パワー、理念を用いた国際関係へのパワーの行使の条件として、ネットの普及があることは、あらためて強調されなければならない。

このエントリの分析は、現状で生じている侵略や悲劇に対して無力だし、一刻を争う状況に置かれている人たちがいることを疑う余地もない。ただそこにばかり目を奪われると、国際関係における新たなパワーとそれを裏付ける理論の登場を見過ごすことになる。ゼレンスキーの戦略の巧妙さ(狡いという意味ではない)は、そのような観点からも注目されるべきである。

EUの規範とパワー (関西学院大学産研叢書 44)
EUの規範とパワー (関西学院大学産研叢書 44)
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