奪った時間を売る方法?

雑記
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山口周さんが、とても面白いことを言っていた。

あとに続く議論も含めて考えると、じっくりと考えるべき論点はたくさんある。一方で、「人から奪った時間は高く売れる」という最初に提示された命題は、それ単体で検討するに値するものだとも思う。僕自身、時間と消費の関係についての著作があるくらいなので、せっかくだから思いついたことをいくつか書き連ねてみたい。

時間を奪うということ

まず、命題を要素に分解しよう。この命題は「人から奪った時間」が主語になり、それが「高く」「売れる」という修飾語、述語につながっている。ではまず「人から奪った時間」とはなんだろうか。

おそらく、これは比喩だと考えるべきだ。なぜなら、時間は人から奪ったり、それを再分配したりできないものだからだ。というより、すべての人が同じ単位の時間を生きているという感覚すら、時計が普及する前にはなかったものだ。近代以前の世界では、時間は感覚的なもので、過去から未来に向けて進むと考えられていたわけでもなかった。

では時間を奪うというのはどういうことか。奪うというからには、ある主体が、別の主体の意思に反して時間を奪っていることになる。そしてその主体・客体の間で時間が奪われるのだから、「ある人に、その意思に反して、自分のために時間を使わせる」ことが「時間を奪う」ということの意味だと考えられる。

こうしたことは、産業社会では一般に行われる。「労働」がそうだ。しかしながら同じツイートでは、例としてテレビ局やYouTuberが挙げられているので、この場合の「時間を奪う」とは、「テレビ局員やYouTuberが、視聴者の意思に反して自分の番組、動画を見せる」ことを指している。

高く売れるということ

この時点で「視聴者は意志に反して見せられているのか?」と思う向きもあるだろうが、次に行こう。「高く」売れるという点だ。「高い」というのはある基準に対しての相対評価だから、この場合は、テレビ局員やYouTuberでない人が、別の人の時間を奪う場合よりも「高い」ということになるだろう。

では、実際にこれらのメディア産業は高い収入を得ているのか。YouTuberの収入は動画再生数に依存するので一概には言えない。テレビ局については、『東洋経済 業界地図2022』によると、キー局のうち2021年の営業利益がプラスだったのはテレビ朝日とテレビ東京で、残りはマイナスだ。広告収入そのものも昨年は下落したようだ。

メディア産業以外ではどうか。たとえば製造業。スマホやテレビ、パソコンといった、メディアコンテンツを視聴する機器を製造・販売する企業も、もしかしたら広い意味で「時間を奪う」産業の中に入るのかもしれない。一方で家電品には、むしろ利用者に時短を促すための機器が多い。掃除機、洗濯機、電子レンジなどがそうだ。さらに近年は、ホットクックのように、放ったらかしにしている間に他のことができるようにする「時産家電」と呼ばれる商品も登場している。この場合、時間を奪わないことによって商品が売れているのだと言える。

さらに「人から奪った時間『は』高く売れる」といっているのだから、これは、意思に反して時間を奪うほど収益が高いということ、そして、長い時間を奪えばそれだけ収益も上がることを含意している。本当にそうだろうか。たとえばオーディション番組の視聴者は、推しの候補生がデビューできるように、番組放送時間以外の時間も推しのために費やし、それが大きな市場になっているが、ファンたちの意志に反している行為だとは言えないだろう。また、時間の長さと収益も相関しない。やりこみ要素満載で数百時間を費やすことのできるオープンワールドゲームは、追加コンテンツでも売らない限りイニシャルの売上にしかならないが、何度でも再生できる短尺の動画は、再生回数(時間ではない)に応じて収益になる可能性がある。

時間が売れるということ

以上のことから、一般的に「相手の意志に反して時間を使わせる」ことが、他の産業よりも高い収益や収入につながるとは言えなそうだ。ともあれ、この命題には最後に「売れる」ということも述べられているので、それも検証してみよう。

この命題の主語は「時間」だから、時間を奪った主体は、別の誰かに、その「時間」を高値で転売しているということになる。これは難題だ。既に述べた通り、時間は没収も分配もできないものだから、「時間が売れる」というのも、何らかの比喩だと考えるしかない。

おそらくは、この「売れる」というのは、ここまで論じてきたような「時間を奪うコンテンツが直接収益を上げる」ということではなく、「そのようなコンテンツには広告を出したい人がたくさん出てくるので、その人たちに『ユーザーの時間を奪っている』という事実が『売れる』」ということを意味している。いわゆる「三者間市場」というやつだ。これは実際に起きていることだと言える。

このように最初の命題をつぶさに検証してみると、この命題は「人気コンテンツは、その人気に応じて広告収入を得られる」という意味であれば真だが、「その人気の指標は、ユーザーの時間を、その意思に反して奪う程度で測られる」とか、「広告収入を収益源とする人は他の業種よりも収入が高くなる」といった点に関しては、正しいとは言えない。表現を比喩的にしすぎて、普通に言えば伝わることが、違う意味で取られてしまうものになっているのではないだろうか。

違う意味、とはどういうことか。この山口さんの主張は、ミヒャエル・エンデの『モモ』を想起させるものだ。つまり、この命題は受け取り方によっては、『モモ』に出てきたような、時間泥棒に自分の時間を捧げてしまうような中毒性を持つコンテンツ産業に気をつけろ、とも読めるわけだ。

それはそれとして傾聴に値する意見だろうが、やはりちょっといい加減な気もする。産業社会における「時間」と、サービスや情報産業が主流の現代社会の「時間」がもつ意味は、大きく違うものになっているからだ。この点については本題ではないので、そのうち別のエントリで論じてみたい。今日のところは、宣伝がてら(版元がなくなってしまったのでいま市場のどこをさまよっているのか分からない)時間と消費に関する自著だけ貼っておくことにする。

誰もが時間を買っている―「お金」と「価値」と「満足」の社会経済学 (セブン&アイ出版学び新書)
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