仕方ないなんて言わない

雑記

もしかしたら、あれが生涯で最後の瞬間だったのかもしれない。ふと、そんなことを考えた。コロナで途絶えてしまった飲み会やイベント。誰かと話をしたこと。悔しくて涙が止まらなかったこと。自分は無敵だと思えた瞬間。あれもれこも、あのときが最後だったのかもしれないと。

懐かしいとか戻りたいとか、そういうことじゃない。すべてのものはいつかなくなってしまう。だからこそ、愛おしいとか美しいと思えたその瞬間を、永遠に記憶していられるくらいのつもりで全力で生きようと思っている。ただそれでも、あの瞬間はもう来ないのだという事実は、時間の流れの前に抗うことができる人間はいないという真理は、やっぱり体のあちこちを軋ませる。ちゃんと、明日死んでもいいと思えるくらいの今日を生きられているだろうか?

先日、沖縄に行く機会があって、いくつか戦跡をめぐった。おとなになってからそうした場所を真剣に見て回るのが初めてだったのですごく勉強になったのだけれど、とりわけ印象的だったのが、戦死者たちから家族に宛てて送られた手紙だ。最初は、なあにすぐ帰ってくるさと軽い口調だったものが、次第に深刻になり、手紙の文字が乱れるようになる。最後は、もう帰ってこられないと思うが、こうなったら敵の一人でもやっつけてやる、という別れの手紙になる。

それ自体も胸の痛むものだが、同時に思ったのは、なんて無益なのだろうということだ。戦況を一転させる打開策はない。本土からの増援もない。そこで個人ができるのは、与えられた役割の中で精一杯務めを果たすことであるという。そもそも、その務め自体が、目的の達成に寄与しない無益なものだというのに、その無益さに懸命に殉じることが、存在の意味そのものになってしまう。

こういうとき、おとなはすぐ「仕方ない」って言うよな、と思った。いまは仕方ないんだ、これしかできないのだ、だから、その中で精一杯できるだけのことをしてくれ、と。そのさまは、まるでこの2年、コロナ対応で足掻き続けた自分を見るようだった。そうじゃないんだ、自分の責任の範囲にある人々を「仕方ない」状況に追い込まないことが、おとなの役割なんだと強く思った。

ほどなくして、戦争が始まった。暴力に対して懸命に抵抗する人たちがいた。抵抗は無駄なのだから降伏、撤退すべきだという人たちもいた。これは大きな国際情勢が描くパズルのピースに過ぎないのだと分析する人もいた。それらすべてが、沖縄で見た光景と重なった。ある状況に巻き込まれたとき、そこには、変えられない状況の中でせめてできることを探そうとする人と、それを遠くから眺めて「これは仕方ないね」と言う人がいる。どちらが正しいかという問題ではなく、人はいつもそんな風に分けられてしまうこと、その中で、自分だってどちら側にいてもおかしくないことを、絶対に覚えていようと思った。

歳をとってくると、そういう感覚がどうしても鈍くなる。実際に手を下せることは少なくなっていくのに、口だけは達者になる。結果、言ってることは正しいのだけど、それを言われたところでどうしようもないでしょうに、ということしか言わない「正論おじさん」になってしまう。正論おじさんは、かつてだったら、たとえ死すとも最後の銃弾一発まで戦えなんて言っていただろう。いまだったら、国際問題からネットで揉めてる案件、組織運営まで、あらゆるところに見つかる。「べき・べからず」のたぐいの話は、気持ちよく相手を黙らせることのできる正論だ。けれど実際は、相手に呆れられ、遠ざけられているだけなのだ。

僕は一方的に状況に巻き込まれて、その中での精一杯を探すのも、そこから距離をおいて宙に浮いた正論を吐くのも、そしていずれであれ、そんな自分を正当化するための言葉で身を守るのも、できるならまとめて避けたい。自分がどんな原則に従い、どんな理想に準じ、どのように現実と妥協するかを、自分の意志で決めたい。それをもっともかんたんな言葉で「自由」という。他人の行動や思考を制約することなく、自分ひとりで自由でいられるか、そんなおとなでいられるかを試されている。

初詣に行ったら、45歳だった去年は「八方塞がり」の年だったということを知った。閉塞感というほどではないものの、頑張って手を伸ばしてもどこにも届かないような苦しさはあったから、さもありなんと思ったのだけど、その後でおみくじを引いたら、吉方は「八方よろし」だった。冗談みたいな偶然だけど、そういえば今年は「いろんな場所に行けたらいいな」と思って、デジタルノートの最後のページに、主要都市の路線図を貼り付けていたのだった。既に、今月も来月も遠方に出かける予定ができている。

いまから20年前、初めて出版した本のあとがきには、見たいものがあれば自分の足で見に行く、話を聞きたい人がいればその人に話を聞きに行くのが自分の姿勢だと書いた。46歳の誕生日。まだまだどこにでも行けるし、好奇心のおもむくままにたくさんの人に会いたい。たとえそれが生涯で最後の瞬間になるとしても、それを選んだことを誇りに思っていたい。そんなわけで、デビューから20年。相変わらず青臭いままですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

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