社会学者とどこで出会うか

雑記

岸政彦さんが『岩波講座 社会学』の刊行に寄せて書かれた文章が話題になっていた。僕も前回の岩波講座を、学部時代に図書館で全巻読み通したので、このオールスターズの論集がいまの日本社会学のスタンダードを更新するものになればいいなと思う。

一方で、社会学の業界内部と外部では、この文章の受け止め方は微妙に異なるかもしれない。いわゆるネット世論の世界では、本文の「より地味な、地道な、実証的なスタイルで調査研究をおこなう社会学が求められるようになった」「社会学者は、大風呂敷を広げた預言者であってはならない」といった文言から、これはテレビで好き放題に感想をコメントする一部の「社会学者」を揶揄しているのだと受け止められている。まあ、それもあるのかもしれない。が、正直なことを言えばいわゆる「職人的」社会学者にとって、そのへんのトレンドはほぼ「眼中にない」のではないか。

そもそも預言者的な社会学者の代表格である我が師匠がテレビを賑わせていたのは四半世紀前の話だ。現在では、これまでもっともテレビを見ていた若い女性ですらテレビよりもネットへの接触時間が多くなっている。また、ビデオリサーチのデータでは、ワイドショーなどが含まれる「教育・教養・実用」番組の関東の個人視聴率は高くても8%。午後の時間帯のワイドショーの若者の視聴率は、おそらく1%もいかないだろう。つまり、いまの大学生に「テレビに出ているような社会学者を社会学の代表だと思っちゃいけない」と言っても「誰ですかそれ?」と返されるはずだ。むしろ「動画サイトで見かけるネット論客」の言うことに注意しなさいという方が、はるかにリアリティのあるものになっているだろう。

ちなみに、視聴率で言えば午後の時間帯と大差ない早朝のテレビに出ている僕の認知度は、大学においてほぼゼロだ。言われることがあるとしたら「出ているのは知っているが見たことはない」「母がいつも見てます」というもの。有名人とは「有名であることで有名な人」という定義を用いるならまあ「有名人」なのだろうけれど、街を歩いていて顔バレ(関西では「顔をさす」という)することもまずない。

そんな大学生は、社会学(者)とどこで出会うのか。岸さんの文章では「絶対にしない」と言われているCiNiiやGoogle Scholorの検索である。なぜなら「ネットで検索したような記事を参考文献に挙げても単位にはなりません」と指導された学生ができるのは、本を読むことではなく論文データベースを検索することだからだ。それゆえに、学生たちはひとつひとつの論文の、自説に都合のいい記述については血眼で探すものの、それを誰が書いたのか、どんな顔の人なのか、師匠筋が誰で、どの大学の出身(学閥)なのかと言ったことについて知ることのないまま、データのひとつとして社会学と出会うのである。

むろんゼミの指導教員から研究書を推薦される際に、「実はこの人は大学院の先輩なんだけど、当時からものすごく優秀で、さらに言うとこんな変人エピソードがあって…」という話を聞かされる学生もいるとは思う。こういう「あるある話」を通じて人は学問のインナーサークルに入っていくし、雑多なデータの集まりだった学問が体系的に見えてくるものでもある。が、そんな話を聞かなくても「権威ある」アカデミックジャーナルの「まっとうな」研究が手に入るわけだから、わざわざ本として研究を読み通し、その背後に著者の姿を見る必要などない。実験の手順や手法、評価基準が定まっている自然科学や心理学といった分野と違って、学問の体系性が抽象的な人文系の分野では、触れる個々の研究の水準が高ければ、その分野が「分かる」というものでもないので、これはこれで困ったことになる。

もうひとつは、『岩波講座 社会学』がカバーする範囲と、研究者の偏りの問題だ。社会学に限らず文系の分野では、所属した研究室の教員が特定の分野の専門家だからといって、学生が強制的に教員の研究分野を研究させられることはまずない(場合によってはハラスメントになる)。なので学生は自身の関心のある分野を社会学と結びつけながら卒論に取り組むことになるのだが、人気になるのは「情報・コミュニケーション」の分野と「文化・社会意識」の分野が目立つ。いわゆる「ポップなテーマ」の人気はそのまま社会学の研究数にも一部反映されており、2023年の日本社会学会の一般部会報告約230本のうち、これらの分野は28報告を占めている。

むろんこうした分野の研究が一般に質で劣るといったことはない。むしろこの分野でも「地味で地道な研究」をしている人がほとんどなのだけれど、どうしても研究内容が耳目を惹くし、新聞や雑誌で取り上げられることも多くなる。それが「社会学のイメージ」を形成し、代表するとなるとそれはそれで、実態を表しているとは言えない。

ちなみにここまで挙げた「論文を検索してそれがすべてだと思う学生」も「社会学の研究分野について調べてイメージを持っている学生」も、おそらく上澄みの数%だ。大半の学生にとって社会学は未知の分野で、大学は就職までのモラトリアムを楽しむ時期で、なるたけコストを掛けずに卒業できればそれでいいものでしかない。そういう学生に「でも卒論まで取り組んでいろいろ考えて、社会学が面白くなりました」と言わせるのが教員の力量であり、だからこそ『岩波講座』のようなアンソロジーが必要になる。学生の多様な関心を受け止めて、すべてにコメント、指導できる教員はいないので、「これを読んでおきなさい」という最新版の基準点は、常に必要とされるものなのだ。

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