IPPS消費とはなにか〜2014年を振り返る(1)

トレンドの節目というものがある。具体的な現象というより、それらがいくつかつながりながらひとつの流れを形成し、気付いた時にはあそこでもここでも同じようなことが起きているね、という。研究の世界ではこれまで、未来予測をするとしても、起きたことをもとに考えるべきだとされてきた。だからその種のふんわりとした未来予測は学術的でないということで評判が悪いのだけど、時代に先手を打てなければ生き残れないという危機感の強い産業界においては、単なる直感とも学者の後出しジャンケンとも異なる「理論に裏打ちされた未来予測」への期待感はとても高い(だから僕みたいな人間にもお仕事がある)。
今年、いろんなところでくり返し主張してきたことのひとつが、その大きなトレンドの節目である「ソーシャルの時代の終わり」だ。ただ、分析を深める前に速度重視で記事を書いたり発言したりしてきたので、「ここを読めば分かる」みたいな形にはなっていないところもある。なので2014年が終わる前に、いくつかの論点についてはまとめておきたい。最初に取り上げるのは、Lifeでも話した「IPPS消費」だ。

1.「中身より話題性」の時代

00年代以降に話題になった消費モデルには、ひとつの共通点がある。それは「コンテンツよりコミュニケーション」という前提に立っていることだ。これはつまり、商品に内在する価値ではなく、それがどのように話題にされるかが商品の価値の中心になるということだ。
なぜそういうことになったのか。背景にあるのは、携帯電話の普及によって、若者の可処分所得の多くが通信費に回されるようになったことがある。もちろんマクロには若年人口の減少や景気停滞によって若者所得が減ったことなどがあるのだけど、ともあれこうした「若者の消費離れ」に対応すべく生まれたのが「若者が頻繁にアクセスするチャネルである通信をフックに消費を促す」というモデルだった。
いまや通信は若者だけのチャネルではないとはいえ、00年代にはまだこういう話にリアリティがあった。僕が07年に出した『わたしたち消費』も、ネット上の話題の共有が消費につながる可能性について論じたものだったし、震災以後のソーシャルメディアの利用者の増加が、こうした流れを後押ししたこともある。AIDMAからAISASへ、そしてSIPSへ、と言われる、「生活者の共感を得るマーケティング」の重要性も、そういう話の中で語られてきたのだった。
他方で、話題になれば売れるのなら、話題をつくってしまえばいいじゃないかという流れも出てくる。戦略PRのような手法がアメリカから輸入され、「買わせるための空気づくり」をネットで行うプロモーションが流行し、広告というコンテンツよりもコミュニケーション戦略が優越するとまで言われた。
けど、その流れもあまり長続きはしなかった。ランキングの操作、やらせの書き込みといった消費者庁の注意事例にも当たるような手法だけでなく、一般的なプロモーション活動までもが一括して「ステマ」と呼ばれ、一歩間違えば炎上要因にもなるリスクを抱えることになった。あるいは、今年いい意味でも悪い意味でも注目されたバイラルメディアのように、話題になれば違法行為もいとわないというメディアも登場し、「コンテンツよりコミュニケーション」「中身よりも話題性」というスタンスが、大きな曲がり角を迎えている。
そもそも、戦略PRじたい、メディアの公共性や中立性について非常に厳しい規範があるアメリカ社会だからこそ、その間をついて発達したものなのであって、「カネを出せば枠が買える」くらいのノリでメディアが扱われており、新興ゆえにマス媒体よりもその辺の規範がゆるいネットにおいて、シグナルよりノイズのほうが多くなっていくのは仕方のないことだったのかもしれない。
ともあれ、話題性を重視したソーシャル展開が、メリットよりリスクの目立つものになりつつあるというのが、ひとつのトレンドだ。

2.「ソーシャル離れ」の実像

もうひとつ重要なのが、2012年ごろからアメリカで「Facebook離れ」が言われるようになり、Twitterのユーザー数の伸び悩みなども言われ、全体として「ソーシャル離れ」が進んでいるという点だ。むろん利用者の数を考えれば、いまだソーシャルメディアがネット上でもっとも人の目につきやすい場所であることは確かだが、これからもそうではなさそうだ。
アメリカで10代のFacebook離れが進んだ背景にあるのは、フェイスブックの利用者が増えて、親や教師ともつながる場所になってしまったことがあるという。ダナ・ボイドの『つながりっぱなしの日常を生きる』の中でも、ソーシャルメディアを利用する動機のひとつとして、大人に見られない場所でのコミュニケーションの重要さが指摘されていたけど、それを反映した結果だろう。
ただ社会学的には、もう少し踏み込んで考える必要がある。というのも日本においてはソーシャルメディアを活発に利用しているのは大人世代だからだ。これも以前にブログで指摘したことだけれど、要するに大人に見られることが問題なのでも、知らない人から見られるのが気持ち悪いわけでもない。利用者が増えることで「内輪のコンテキスト」だから通用していたコミュニケーションができなくなる窮屈さが、ソーシャル離れの原因なのだ。
おそらく「内輪のコンテキスト」を共有したいというニーズはまだまだなくならない。たとえばTwitterのユーザー数がInstagramに抜かれたという話があったけど、これだって表面だけを見ていては何もわからない。Instagramが、セレブの投稿するちょっときわどい画像を見るために利用されているのか、写真でしか伝わらない、コミュニケーションのあいまいな文脈を共有するために利用されているのかによって、それが用いられる動機は異なるからだ。
世界的にも、ポスト・ソーシャルの流れはLINEなどのメッセージングアプリによるクローズドなコミュニケーションだと思われている。だがこうした分析に従うなら、重要なのはクローズドであるかどうかではなく、オープンであっても内輪ノリが維持できればそれでいいし、LINEだってグループメンバーが肥大化してくるとサブグループで本音トークが行われるように、内輪かどうかというのは、しくみとしてオープンかどうかとは別の問題なのだ。

3.IPPS消費とはなにか

この「ソーシャルでの拡散がもたらすリスク」を回避するためには、生活者とのチャネルや、生活者どうしのコミュニケーションの場をクローズにすることが考えられるが、既に述べたようにそれが解決になるとは限らないし、なによりソーシャルメディアによって可能になった「ネットの拡散力」を活かしたプロモーションの可能性までも捨ててしまうことになる。そこで注目したのが、リアル空間でのイベント消費だ。
今年に入って、「カラーラン」「エレクトロダッシュ」といったランイベントが、ソーシャルメディア上でいくつも共有されてきた。興味深いことに、こうしたイベントは(1)ソーシャルメディアで参加した人の体験談としては共有されてくるのに、事前の告知を目にする機会がない、(2)そもそも共有されていない人には存在すら認知されていない、という特徴をもつ。つまり、ソーシャルメディア上に存在していた人とのつながり、あるいはクラスターが「イベントに参加しているか否か」という形で可視化されているのだ。
単なるプロモーションという意味でなら、一部のアーリーアダプター層をターゲットにしたクローズなイベントを開催するのは珍しいことではない。だがここで重要なのは、このイベントで「高感度層」を通じて商品をPRすることではないのだ。そもそも「ただ走るだけ」のイベントに、そこまでの意味はない。
実はこうしたイベントは、「参加すること」を通じて「内輪ノリ」を共有する機会を提供しているのである。これらのイベントは、事前に大々的に告知されるのでもなく、また一人で参加するようなものでもない。誰かの招待を通じてじゃあ行こう、となるのだ。そこから参加当日までの間にも、非日常イベントを楽しむための準備段階があり、一緒に参加する人たちと買い物に行ったり計画を立てたりする段階があって、ようやく参加となる。
参加中も、一緒に行った人とはリアルタイムに写真などのデータを共有する。LINEのグループのアルバムなどを用いながら共有された写真は、イベント終了後にソーシャルメディアに投稿する際に、厳選されたお気に入りの(よく盛れた)一枚をピックアップするのに用いるのだ。つまり、内輪向けには「すべてを共有」しつつ、外向けには「象徴的な一枚を拡散」することで、内輪ノリと外向けの顔を使い分けるのである。
実際、そこまで盛れた一枚であればこそ、そうした写真は「いいね待ち」状態になるし、一緒に行っていない友達から承認されることが、「楽しそうに遊んだ私たち」という結束感を高めることにもつながる。前述のランイベントなんかは、まさにそうした形で拡散され、「招待されなかった人」の間で話題になっている。この一連の流れを「Invite(招待)→Plan(準備)→Participate(参加)→Share & Spread(共有と拡散)」のサイクルということで、IPPS消費と名づけたわけだ。
また、さらに事例を詳細に分析するなら、そこにもふたつのパターンがあることが分かる。拡散の必要もないくらい内輪の人たちとのイベントに参加する場合と、拡散することが大きな目的になっている場合だ。前者の典型例は、ちょっと凝ったバースデーパーティーやホームパーティー。確かにその模様が拡散されることはあるけれど、準備している当人たちは楽しいとしても、他人にとってはほぼ意味がない。だが後者となると、イベント楽しかったね、では済まず、ソーシャルメディアで人から承認されないと「参加した私たち」の存在が宙に浮いてしまう。
「楽しそうだから」意外に参加する意義がないからだ。
たとえば、今年はじめてユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行って、ハロウィンのコスプレというやつに遭遇したのだけど、数えてみると圧倒的に「2人組」か「5人組」が多い。前者は、本当に仲の良い人と準備をして参加したのだと思われる一方、後者には必ず1人は所在なげな人がいて、おそらくリーダー格の子の誘いでグループ参加したのだなということがうかがえる。こうしたグループにとっては、全員集合のコスプレ写真は「楽しかった私たち」という事実を事後的につくり上げるのに最適だろうと思う。本当に仲の良い内輪での消費を「トゥルーリア充消費」と呼ぶなら、こちらは「フェイクリア充消費」とでも言えるだろう。
IIPS

4.マーケティング上の含意

さて、ではIPPS消費は、ビジネスとして考えたときにどういう意味をもつのか。もっとも重要なのは、ただ誘い合ってイベントに参加するだけなら昔からあるものだし、ソーシャルメディアでの共有まで含んだ特殊な消費行動が、消費の中心になることはあり得ないというところだ。
一方で、こうした消費モデルは「ソーシャルメディアでバズればよし」というモデルが曲がり角を迎えているいま、その新しい活用方法やKPI構築の参考になる可能性を持っている。僕自身はそこまでのビジョンは持っていないけど、マーケティングや広報の担当者にとっては、リスク込みで量的なKPIを追求するよりも気が楽になるかもしれない。
さらに言えば、特にフェイクリア充消費において顕著だが、IPPS消費はイベントだけでなく、その準備段階や事後においてもたくさんの消費を促す。ウェアやグッズの購入、交通(誰かの車とか、レンタカーとか)、当日も現場での飲食や打ち上げなど、周辺市場が大きいのだ。いずれも「うちら楽しかった!」といえるようなイベント設計が重要になるが、うまく機能すれば「拡散され、承認されることで仲間感が強まる」ことになる。
また、こうしたイベントが定例化していくことで、ブランドのみならず地域への愛着を高めていくことにもつながる可能性が高い。この点については2013年の『ウェブ社会のゆくえ』で「実践のためのアイディア」として巻末に載せていることなのだけど、ソーシャルメディアがもたらすコミュニケーションの文脈の混乱は、定期的なイベントの開催によって回避できる可能性があるのだ。
では、注意すべきこととしてはどのようなことがあるだろうか。最近、ランイベントも質が悪化しているのか、参加者の不評を買って炎上するようなものも出ている。そうでなくても、開催したにもかかわらず大して共有も拡散もしなかったものも目立つようだ。
その理由としては、イベントを古典的なプロモーションのためのフラッシュモブ、要するに話題作りのためにたくさんの人が集まっていることを見せるために設計し、ひとりひとりの参加者のことをろくに考えなかったことがあるだろう。代理店の真似事が好きな意識の高い学生のイベントにありがちな失敗だが、そうでなくても運営上の負担やリスクに見合うだけの成果が上がらないということまで含め、何も大規模にすればいいというものではない。共有し、拡散するのはそれぞれの内輪の参加者なのだから、その人たちをないがしろにしてIPPS消費が成り立つわけはないのだ。
こうしたことからも分かる通り、IPPS消費がどうのこうのというより、「イベント消費が流行している→より大規模なイベントを企画しよう!」といった底の浅い考察しかできないことに、問題の根がある。僕が提案したいのはあくまで、お金の儲け方ではなく、それを追求するときに考えるべきこと、その中に含まれる社会学理論のフレームワークとアプローチなのだということは、一応書いておきたい。

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