未来を予測するのは困難なことだ。だが人生は未来にしか続いていかず、改善は未来においてしかなし得ない。そのため僕たちは、手元の限られた材料から未来を予測し、そこから逆算して現在の行動を決定する。それは僕たちの普遍的な振る舞い方だと思うけれど、学術と実業の2つの領域に足をかけている立場からは、両者の未来予測には質的に異なる部分があることをまま感じる。学者、特に社会科学者が、できる限り確からしい情報を集め、それらを根拠に論理的に導ける、すなわち科学者ならば誰もが同じ結論に至るであろうことを述べるのに対して、実業の世界では、競合に対する競争力を発揮するために、自分しか思いつかないこと、手元の材料では言い切れないことの方に軸足を置いた予測をしがちだ。実業者に見られるこうした「暗闇への跳躍」は、イノベーションの源泉だと考えられてきたし、それゆえイノベーターの条件とは、再現性がなく、ユニークな発想をもつ天才型の人間であることだと捉えられがちだった。
しかしながら、イノベーションを天才型イノベーターと結びつけるこの種の発想は、様々な壁に突き当たりつつある。2016年の記事でも書いたとおり、シリコンバレーでも「ジョブズのような天才であること」が、実際の状況よりも期待値を膨らませる要因となり、詐欺事件へと発展したり、また「インフルエンサー」や「YouTuber」のような(新刊の言葉を借りれば)「ひとりイノベーター」が脚光を浴びる中、わざと批判を集めて注目されようとする、いわゆる「炎上マーケティング」のような例も目にしたりするようになった。このあたりから、イノベーションを巡る、あるいは未来予測に関するトレンドは、大きく変わったように思う。
それは具体的には、前に挙げた記事でも述べており、また新刊でも強く打ち出している「協働の時代へ」というコンセプトを軸にした変化だ。天才型イノベーターが斬新な発想で市場を創造し、既存市場を破壊していくのではなく、普通の人々が協働を通じて各自の持ち味を発揮し、ひとりでは発想できなかった創発的なアイディアを具現化させていく中でイノベーションの創出を目指す組織、チームのあり方がスタンダードになるだろうし、そのようなチームをうまくマネージすることのできた集団が、次の時代の主役になるだろう。
僕自身も、こうしたビジョンに基づいて自分の教育方針(内容ではなく)を少しずつシフトさせているし、周囲でもそういうことを考えている人の話は耳にする。ここでは、これから学生や若手社会人を取り巻く環境がどのように変化するのか、そのトレンドを自分なりに整理してみよう。
1.データ分析は英語並みのスキルに
天才は、自分の頭の中にしかない発想で集団を動かす。だが「ふつうの人びと」の集まりの中で天才を超えるのに用いられるのはデータだ。いわゆるビッグデータやパーソナルデータのようなICT関連のデータの「収集」だけでなく、営業先のリストや自身の働き方などをデータ化して分析するといった、これまで文系による「経験・暗黙知」だった領域が、データ分析の対象になる。「英語ができる」ことで羨望の眼差しで見られることがもはやないのと同じで、データを扱えることはすべての人にとって標準的なスキルになる。
2.情報は量から質の時代へ
データ分析の質を高めるために、分析力ではなく、集める情報の質が問われるようになる。特にオンラインの情報は、マネタイズやプライバシー保護の観点から、これまでのように無料でネット上を流通するものではなくなりつつある。言い換えれば、個人的な目標においても時間と金銭的なコストを惜しまずに集めてきた情報の価値が相対的に上昇するのであり、そのような質の高い情報を自分で集め、判断する能力が問われるようになる。
3.意思決定の重要性が増す
データ分析は、それだけで何かの役に立つことはない。学術の世界では近年、ランダム化比較試験(RCT)などによる統計的因果推論が注目されるようになっているが、実業の世界ではスピード感やデータの集めやすさ、ビジネスへの応用力の観点から、ビッグデータや蓄積データを用いた相関分析が主になる可能性が高い。ところが相関分析の結果は、人間が直感的に理解できるシナリオを伴わない場合も多い。分析の結果と組織的な意思決定を結びつける部分では、相変わらず属人的な「暗闇への跳躍」が求められるだろう。
4.嫌われない人より任される人
天才への志向が高く、誰もが注目を集めようとした時代に求められたのは「トーカビリティ」、すなわち人々の間で話題に上ることだった。いわば「誰からも嫌われない人気者であること」が求められていたのだが、データに基づく集団的な意思決定が主流になる時代には、分析や判断、意思決定を「任される」存在であることが重要になる。任される人になる条件の中に、組織の中で波風を立てないことが含まれることもあるが、多くの場合重要なのは、意志力と実績である。
5.組織に優先するライフプラン
天才と下っ端で構成される組織ではなく、ふつうの人びとが対等な関係の中で協働する組織においては、個々人の多様なモチベーションの源泉を認めることが大事になる。モチベーションの源泉となるのは、給与ではなく人生の目標、その人が楽しいと思えることだ。組織の「外」にこそ存在するこうした源泉を認めることで、必然的に組織よりもメンバーのライフプランが優先されることになる。
6.人の不完全さを前提にした運営
それぞれが異なるライフプラン、異なる目標をもち、価値の軸を置いている集団では、誰もが組織に対して100%の力を割くことができなくなる。また、異なる特性を持ち寄って協働している以上、誰もが不得手な分野や人間的な欠点を抱えている。こうした関わりや能力の歪さを認められなければ、集団は常に優勝劣敗の繰り返しゲームとなり、コミットのあり方も「短期的な勝負に勝つこと」に集中することになる。それはイノベーションを遠ざけるものになる。
7.サンクコストへの忌避感に配慮する
短期的な勝負のみにコミットすることの問題は、メンバーがサンクコストに対して敏感になってしまうことだ。すなわち、時間をかけてプレゼン資料を用意しても、コンペで負けてしまえばかけた時間が埋没してしまう。それゆえ「時間をかけるなら確実に成果の出ることだけをしたい」という姿勢が蔓延することになる。通常「リスクオフ」と言われるこうした行動は、一見すると「リスクオンの行動をとれ」と発破をかけることで解消されるように見えるが、実際に問題を生じさせているのは、かけた時間をサンクコストにしてしまうような評価制度のあり方である。
8.居心地の良さはエモからチルへ
多様な人々が自分の人生の目標をもとに、不完全なところがありつつも、そこでとった行動を一定程度評価されるという集団のあり方は、従来のような「メンバーの情熱的なモチベーションを引き出し、鼓舞する」というタイプの集団とは質的に異なる。後者が、いわば天才的なマネージャーや経営者による「エモい」ビジョンで集団を引っ張っていくようなものだとすると、これから求められるのは、誰もが心理的安全性を感じながら過ごせる「チル」な場の設計である。
9.民主化された関係性を基盤とする社会へ
データを用いた客観的根拠に基づく判断と、不確実な未来へ踏み込む意思決定。それを集団的に行えるような心理的安全性の高い場と関係性。このような集団、チームを形成する目的は何か。それは、「1人の天才にすべてを賭けるのではなく、全員で意思決定に責任を持つ民主的な集団をつくりだす」ということだ。会社組織であれ、学校であれ、家族のような親密な関係性であれ、権威主義を否定し、民主化された関係性を構築しようと行動することは、長期的にメンバーの高いロイヤリティとコミットメントを生み出す力になる。
こうしたトレンドは、自分が勤める大学という組織においても、また教育の取り組みにおいても欠くことのできないものになっていくだろうと思う。もちろん「大学のセンセー」という権威主義は、それに服する側においてすらまだ根強い部分もあるし、学生たちも、民主主義よりは面従腹背によるトラブル回避の傾向が強いように見える。ましてこうしたトレンド予測は、まだはっきりとした形になっていないものであって、これからようやく手を付けるというところでしかない。けれど、いくつかの予測については、実施や定着までにかなりの時間がかかることが明らかでもある。動くなら、どんなことでも早いに越したことはないだろう。