社会が変わるときって

雑記

生きていることがもう間違い

1年の振り返りをする習慣がついたのは、ブログを始める少し前のことだから、1998年かそこら、だいたい25年くらい前のことだと思う。当時の僕は色んなことに追い込まれていて、それが回り回ってすべてに諦めがついたというか、もう年の境を超えたら自分は死ぬのだと思っていれば、どんなことも爽やかな気持ちで受け入れられる、そんなことを考えていた。

それから四半世紀もたったのに、やっていることは相も変わらない。今年も僕は自意識上の問題に追い込まれ、それこそ吊ったり飛んだりしなかった自分を褒めてやりたいくらいには落ち込み続けていた。

きっかけは色々ある。それらの出来事の中には、悲しいけれど仕方のないことも、むしろ喜ぶべきことも、また必然的な流れとして起きたこともある。ただそれらの出来事を並べたときに、これって全部、自分さえいなければ起きなかった、自分がすべての起点にある、要するに自分のせいで起きたことなのだという風に突きつけられたのだ。

当たり前のことだけれど、当事者からすればそんなの僕の自意識過剰で、多くのことはその当事者自身の自己決定によって生じている。一方で、人は生きているだけで何らかの影響を周囲に及ぼすわけで、その影響をひとたび自覚してしまえば、「生きていることがもう間違いだ」と思わざるを得ない。

BONNIE PINKはかつて「Do You Crash?」の中で「もしもその人が私の一言によって/方向を変えるとしたら/私は今までどれだけの人を/動かしてきたことになるんだろう」と歌ったのだけど、まさにそんな感じ。もちろん社会的にも「高学歴の中年男性が取り仕切る社会への強い反省を促す動き」なんかがあって、すべてが自意識過剰とも言い切れないことはある。その点についてはPodcastでも話したけど。

美しさを求めて

困ったことに、僕自身は、そうした影響を周囲に及ぼす人間になりたくて自己表現を続けてきたのだ。自分の考えは周囲に理解されないのが当たり前、なんでそんなことをするのか意味が分からないという周囲の反応に対して、どうだ、こんなに影響を及ぼしただろうと主張するのが自分の生き方だった。それが間違いだったのでは、というジレンマが、今年の自分の大きな課題になった。

そのジレンマに直面した僕がしたことは2つある。ひとつは多くの関係性から撤退すること。無理して続けていた仕事や人間関係を手放し、自分の影響力を制限しようとした。その決断の背景にあったのは、まさかの西洋占星術だ。占い自体は以前から自分でもタロットを使っていたのだけど、今年は星占いの記事を読んで考えることが多かった。『BRUTUS』の占いなんかは、見田宗介やデイビッド・グレーバーなど、アナーキズムやコミューンに関連する著者のエピグラフなんかもあって、「次の時代」について考えるきっかけにもなった。いわゆる「土の時代から風の時代へ」なんて言われる変化も、要は所有の時代から共有の時代へとか、誰かのものを奪うのではなく、誰かに何かを与える経済への変化といった、やや預言的な社会変動論の話とリンクするもので、言い方や根拠が違うだけで、普段から考えていることとそう変わらなかったのだと思う。

とはいえ、そうやって関係性を制限し、奪い合ったり争い合ったりするところから退いていくとき、どこに向かうのかという話はある。そこで選んだのは、とにかく美しいものにたくさん触れようということだった。

まずはたくさん旅に出た。写真を撮り、フレームに切り取られた風景をより美しく見せるために色や光について学んだ。美術展にもたくさん行った。ライブイベントにもたくさん参加した。美しいもの、美しさに引き寄せられて人が集まる場所をたくさん経験して、美しさが人に及ぼす影響を体感しようとした。

それから、秋以降はずっと音楽を作り続けた。論理や知識の対極にあると思われがちな音楽制作だけれど、音というのは光と同じく物理現象なので、論理的に突き詰めなければいいものは作れない。そのロジックが自分の中で腑に落ちたことによって制作がものすごく捗ったのだけれど、おかげで本も読まない、映画も見ない、なんなら人の曲すら聴かないというくらい内に籠もった生活をしていた。

手を汚さぬ者の正義

それというのも、周囲がごたごたしていたからだ。今年、近しい人たちに色々と予言していたことがあって、多くがその通りになったのだけれど、その中でも「あの人たちの周囲では、これから大きな揉め事が起きるよ」って言っていたのがその通りになったのには自分でも驚いた。

大人が揉めると、大抵の場合は正論が飛び交い、ああするべきだ、こうするべきだと言い出す人たちが出てくる。それを僕は醜悪だなと思っていた。こんなことが許されていいはずがない、そんな対策では手ぬるい、いますぐ変えるべきだ。そんな言葉が、社会的にもたくさん交わされたのが今年だったと思う。

でも、その人たちは別に新しい社会や体制を作るために自分で手を汚すことはないのだ。現実には、何かを変えようとすればそれで困る人や傷つく人が出てくる。それでも何かを変えなければならないときには、たくさんの人に頭を下げ、根回しをして、時間をかけてようやく少しだけ仕組みが変化する。その現場の努力に対して、手を汚さぬ者たちが投げかける口先だけの正義が、どうにも醜悪で許せなかった。もちろん、自分がこの数年、そうした口先だけの正義の攻撃を受けてきたというのもあるんだけど。

反体制より脱体制

そうした現場対応からも今年は離れていたし、また積極的に離れていったこともあって、ひたすら自分にとって美しいと思えるものを追求していたのが年の後半。でも、それだけじゃダメだよなと思っていた年末、前のエントリでも紹介したTeleのライブを見て強いインスピレーションを得た。

いわゆるZ世代と呼ばれる人たちが、以前の世代と大きく価値観が違うのかどうかは分からない。この手の話はどこに注目するかによって変わるし、大半の価値観に大きな変化がなかったりユニークさが認められなかったりしても、ごくごく僅かな変化の部分を突いて商品企画やマーケティングを行うことで、それが新たな価値観として顕在化することだってある。僕が注目するのも、そうした「かすかに浮かぶ兆候」のレベルの話だ。

で、Teleを見ていて得たインスピレーションというのが、「ああ、これからは反体制じゃなくて脱体制のモメントが求められるのかもな」ということ。

現在の体制に不満があるとき、あるいは変わらなければいけないと思うとき、まず取りうる手段として体制批判を行って現行体制を変えようとするというのがある。いままでの体制を作ってきた人たちは反省しなさい、辞職しなさい、既得権を手放しなさい、会社ごと解散しなさいというわけだ。こうしたことを主張するためには、その人自身の強い意志や信念があり、それを表明する勇気と度量が必要になる。

そのこと自体は尊敬すべきことなのだけれど、やっぱり「ちょっと暑苦しくて、しんどそうで、そうまでしないといけないのなら自分には無理だなあ」と思う人が大半だろう。でも、やっぱり変えなくちゃいけない、今のままじゃダメな気がすると思ったときに何ができるか。

アルバート・ハーシュマンの「Voice or Exit(発言か退出か)」の議論に寄せるなら、反体制の発言をするのではなく、脱体制の構え、つまり勝手に別のところに違う秩序を作ってしまえばいいということになる。

授業で「自分の手で社会が変えられるとは思えない」という学生に対して、こんな話をした。確かに、一人の手で社会が変わることはないと思う。でもそれって、実は危ないことかもしれない。一人の人間が社会を動かすというのは、テロだとか、自殺だとか、そういう社会的なインパクトを与えるような行為を伴うことが多い。でも社会が変わるって、そういうことだけだろうか。

たぶん、社会が変わる瞬間ではなく、「変わった後」でしか世の中の変化は自覚されない。たとえば「いまどきもうこういうのないよね」「まだこんなことやってるの」と多くの人が思うようになるとき、社会はもう既に変わっていて、その変化に合わせて社会が作り直される。面白いことに、その「まだこんなことやってるの」と言い出す人たちは、ほんの少し前まで「こんなこと」の中にどっぷり浸かっていたのに、いつの間にか、自分だけが社会の先進的な変化の中に躍り出て、私はもう変わっているのに社会がついてこないみたいな顔をするのだ。

そうした、脱体制の中心、アイコンとなるのは、やっぱり「美しいもの」であってほしいと思う。「正しいもの」や「善きもの」が、誰かと誰かの対立を生み、お互いを奪い合うようになっているいまだからこそ、互いの正義を置いて集まれる美しいものを、人びとは欲していると思う。

さて、毎年の締めに書いている「七味五悦三会」の話だ。大晦日の夜、除夜の鐘が鳴っている間に、その年に食べた美味しいものを7つ、楽しいことを5つ、出会えてよかった人を3人挙げることができたら、その年はいい年だったねと笑って年を終える江戸の風習なのだけれど、今年はこれらすべてが「美しさ」との関連で振り返るものになるかなと思う。誰かが誰かと何かを共有し、与えるために集まる、そんな美しさが来年にもみなさんのところにありますように。

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